永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

A列車で行こう。

2008-07-30 09:01:21 | 日記・エッセイ・コラム
半年ぶりに田川に営業で行く。日田英彦山線でで約50分ほどの時間。時間を有効活用できる僕の唯一の大事な時間となる。いろいろアイデアを考えたり、メモを取ったりと全くひとりの時間になる。この路線に乗る人はお年寄や県立大学に行く学生達がほとんどで、たまに関西、関東からの出張らしき人が乗ってくる。列車はディーゼルカーだから音がガーとかなりたてるが、その単調なリズムの繰り返しは心地よい。背もたれの向こうから聞えてくる人の会話から、貴重なアイデアのヒントをもらうこともある。帰りの車中に80後半くらいの男女ご老人が乗ってきた。夫婦ではなさそうだ。用があって、知合い同士が小倉に用事があるらしい。ふたりの会話を耳をたてて聞いていると、数年振りに小倉に出るらしい。「小倉には何時頃に着くかね。駅をでたらどういったらいいかね」。どうも、小倉の様子がわからないらしい。会話の中から小倉が大都会に思っているらしくどうやら不安のようだ。ローカル線に乗っているといろんな人の模様が見えてくる。


積乱雲と蝉の音は夏の喧噪。

2008-07-27 12:02:41 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりにブログに向いました。門司港のOさんから久しぶりにメールが入り、Uさんが話し会をするので聞きにきませんかと誘いがあったので、散歩がてらに行ってみる。散歩がてらとは言っても凄い暑さで散歩どころではない。やっと着いたお店のエアコンに一息つく。話しというのはUさんの興味のある金子みすずの生涯みたいなもので、女性らしいテーマだ。確かに金子みすずの詩は感性が豊かで、自由な表現をもって作詩の世界を駆使しているが、僕はあまり興味がない。女性にはファンが多く、女性の感性が女性に共感を呼ぶのだろう。Uさんがある歌を唄ったので驚く。Uさんのサービス精神には頭が下がる。帰りに旧山城屋前のバス停からバスに乗ると、見覚えのあるお顔の人が乗ってきた。よく見るとYさんだった。驚く。何年ぶりだろうか。用事があって門司港まで来た帰りとのことで奥様とご一緒されていた。Yさんは勤められていた組織を定年退職されて、新しい機関に勤められているとのこと。また、ある大学の教授もされているそうだ。凄くお元気で矍鑠とされている。しかもお若く、話しをしていてこちらも元気をもらったような気がして嬉しくなった。又互いに再会をと約束してバスの中で別れる。バスの窓から大きく手を振ってくれるYさんは昔から凄く気配りをされる方で、会話の中で相手に一つも嫌なことは話題にされないジェントルマンだ。また、会える機会を楽しみにしたいと思う。


誇張とスローガン。

2008-07-14 10:43:44 | 日記・エッセイ・コラム
この一ヶ月の間続いていた憂鬱と暑気払いをかねて福岡市アジア美術館で開催されている中国の宣伝画の展覧会を見てきました。中国が革命後国づくりのために中国人民をふるいたたせるための宣伝用グラフィックデザインによる印刷物と原画がずらり展示してありました。毛沢東、周恩来などの人物を美男子に表現した絵などは昔のハリウッド映画ポスターのスターと同じです。微細にかかれたイラストレーションは説得がありました。独特の中国カラーの赤と黄は、なぜあんな色が出るのか日本人の僕には不思議です。同じ赤と黄をつくったとしてもやはり日本人の感覚と体質をもつた落ち着いた感じの赤と黄になります。中国政府がつくるプロパガンダの宣伝用アートですが、なぜか僕にはポップアートを見ているようなさわやかなイメージに写りました。


眠りと描写。

2008-07-13 07:12:18 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりにぐっすり眠る。10時間は寝たと思う。ふつう眠りに入っても2・3回は途中で目が覚めるのだが、今日はそんなことは無かった。からだがとても軽く、リラックスしている。こんなことは何日ぶりだろう。ここのところ精神的に不安定でからだ全体がガチガチで肩と腕のつなぎも金属が入っているかのような凝りが続いたことが嘘のようになくなった。目に写るまわりの被写体物もすっきり透明感を持って、視力が増した感じに思える。ひごろは頭の中だけで反応するまわりの近い風景しか目に写ってこなかつたが、遠くの山や空の光景が自然と目に入ってくる。なんだか、こころの底からからだに対して嬉しさがこみ上げてくる。


黒。

2008-07-12 09:57:26 | 日記・エッセイ・コラム
深夜に松本清張の「日本の黒い霧」シリーズを久しぶりに本棚から出して読む。僕は松本清張さんの本を読む時は深夜に読む。清張文学を紐解くには闇の深夜がふさわしい。時の権力者達は自分の手を汚さず、大なり小なりいつの時代も真相を闇に葬る。表と裏。現代も教員採用収賄。食肉偽造などなどとどまることを知らない。ある国の総理は「情から理へ」などと言う。ふたつ前の総理の二番煎じの気がしてならない。官も民もいっそもこと「理」で固めて、ものごとが動かなくなるようになったらいい。理屈がこの国には似合っている。上からでなく下からの目で書いた松本清張さんの小説は今だに色褪せていなく、今の時代を予言していたかのように、読むものの感情にぐいぐい迫と新鮮に迫ってくる。