永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

日常にいつも市のあった場所。

2014-03-22 11:18:11 | 日記・エッセイ・コラム
市場が消えようとしている。市場はいくつもの商店が並ぶ天井屋根がついたいわゆる全天候の大型集積店舗である。かつて昭和の時代に全国どこでもみられた商店街の風情である。長い通りを持つアーケード街もそんな性格をもっている。ちなみに日本でアーケード街の発祥は小倉の魚町銀天街、スーパーの発祥は小倉旦過の丸和である。
門司港で用事を済ませての帰路、門司港駅すぐ近くにある繹市場に立ち寄ってみたら、入り口ウインドウに「3月31日をもって閉店いたします」と告知書きがあった。人生の通過確認にも似たメタフォリズムとしての市場という存在に親しみを持っているぼくは思わず「どうして」という気持ちがこみ上げてきた。
駅市場という屋号はこの近年につけられたものである。以前は鉄道購買所といって、門鉄職員とその家族の人たちのための購買部であった。時代の変化とともに後に一般にも公開されて門司港の街に馴染みのある生活百科店といったところであった。日常生活品がそろっていて便利に利用できたものである。時計売場もあった。鉄道員が乗務に使用する門鉄御用達のシチズン製の手巻き時計を売っていた。クラシックなデザインの時計である。ずいぶん昔に門鉄の人にすすめられてぼくも購入して現在の今も持っている。
4,5年前に栄町の九電跡値に大型スーパーが開店して、その影響があったのか伝統ある店が閉店に至ったのだろうか。門司港の商店街はすがたをすっかり変えている。栄街銀天街をはじめ、昔ながらの風情を保っている中央市場、小原市場の店舗も姿をどんどん消している。戦後から高度成長期にどの町にまあった市場が衰退もしくは消えていく。
ぼくの住んでいる町にある朝日市場も歯が抜けるように店舗が減ってのこり二店舗になってしまった。つい数年前まではケーキ屋が二軒もあった。肉屋、魚屋惣菜屋洋装店となんでもありの市場であった。そして、そこには店と客がやり取りする会話を聴きいるのんびりゆったりした時間もあった。
車社会とインターネット社会が流通の態を変えてしまったといえばそれまで、人の行き交いまでも変えてしまったのには何かやりきれなく腑に落ちない。
戦後貧しく飢えていた日本から発展して地域を支えて輝いていた市場という面影、いま、そんな面影に精神的な貌はいらないのかもしれない。時間軸での人間の物語が消えていく。市場という昭和の趣きが消えていく。でも、だれにも奪うことのできないこころのふるさとはあるはずだ。記憶の残像。



おまけ。

2014-03-19 09:04:33 | 日記・エッセイ・コラム
中学時代からの友人と電話で長話しをしていたら、どうしても話題は還暦過ぎてからのことになります。考えることは昔のあの頃のこと、それとあの時はこうしておけば良かったと反省めいたこと、それと健康の話しです。それとあと何年生きるのかなという話しになりました。残り人生を生きるとして三分の一おまけの付録はあるのかな。