永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

6月の終りに。

2010-06-30 05:33:08 | アート・文化
福岡のYさんより個展の案内が届く。夏冬と年2回展覧会をやられているから、凄いエネルギーである。ぼくにはとても真似ができない。夏は山笠、冬は年の瀬の歳時とテーマを決めている。電話を入れてみると絵の最後の仕上げに奮闘しているらしい。展覧会に鹿児島のIさんも来るかもしれないとのこと。
外はあいかわらずの雨。天気予報ではあすあたりから雨はなく雲天がつづくらしい。本格的な夏はやはり祇園くらいからか。でも、ことしの梅雨はあまり憂鬱さは感じない。



Ring0002_3

海峡の町。〈C〉永野宏三


やはり時代を感じます。町の習慣。

2010-06-29 08:35:15 | アート・文化
道路に面して家の出入口としての玄関があったことを多くみられた頃、町内ということばが当てはまるような気がする。夏目漱石の『我が輩は猫である』の一節に「門口のベルが勢よく鳴り立てて頼むと云う声がする。」とある。『門口』は家の玄関をさす。訪問客は家人を玄関の引き戸越しに声をかけて用事をする。今では防犯上こんなことはめったにすることはない。インタホンで接客する。人間関係が世知辛い時代になったものである。
いつごろから『町』が『街』になってしまったのだろう。社会は経済成長を唱い文句に大容量の街にしてしまった。このごろは生活感が町からなくなってしまったような感じがする。生活、暮らしの基本の家族家庭としての家がワンルームマンションなどにみられるように核化して、ある一定の年齢に達すると独立した『部屋=家』に住む傾向があるから、生活の感覚と構造が時代とともに変化して町から生活の匂いが消えてしまったのだろうか。
干渉されない街。干渉されない生活の空間。きょうも大型ゴミ回収車がリイクルとエコの名に変えて注文を取る声がスピーカーから町中に響く。家が肩寄せあって連なっていた町の風景がなくなっていく。



Ring0001
街が町であったころの風景。〈C〉永野宏三



梅雨に棲む。

2010-06-28 05:44:54 | 日記・エッセイ・コラム
6月も後3日で終ろうとしている。日々過ぎるスピードが速すぎる。半年が過ぎようとしている。あっと言う間である。来月から後半になる。
梅雨は本格的な雨足が続いている。そんなにじめじめした湿気は感じない。どうかすると朝晩は冷え込みがある。エアコンが苦手なこともあり、今は扇風機で間に合う。小倉は祇園太鼓、博多は山笠の準備で夏の装い一色だが、そう暑さを感じない。冷房の効いたビルやショッピングセンターではエアコンが寒く感じる時がある。
ラジオからは珍しく、伊東ゆかりさんの爽やかな唄声が流れている。アメリカのポップスをカヴァーした曲を唄っている。澄みきったような声色はひとつも声は変わっていない。『恋するふたり』『青空の行方』などこれまた懐かしい曲ばかり。爽快なメロディーに梅雨の季節を楽しむ。



Ring001
星座。〈C〉永野宏三



エルトンとマッケンジーのやさしい音。

2010-06-25 06:08:25 | アート・文化
早速、素早く、町の通りには政の行事であるスピーカーからウグイスの声が響きはじめました。やたらと『強さ』がキーワードとして強調されますが、破壊された上にまた薄いボキャブラリーで強さをもとめられるのですから、よくわかりません。今の時代に必要なのは『やさしさ』なのではないかしらん。
ラジオからは、エルトン・ジョンの懐かしい『ユアソング』が流れてきました。やさしい音ですね。♪ユウ キャン エブリバデイ デイス イズ ユア ソング  ハウ ワンダフル ライフ イズ ワイル ユア イン ザ ワールド♪。エルトン・ジョンが「人生はなんて素晴しいんだ」とスピーカーの向こうからやさしくストイックに唄つています。確か1970年のはじめ頃に発表した曲だったと思います。
ラジオからは、これまた懐かしく、スコット・マッケンジーの『花のサンフランシスコ』が、スピーカーの向こうからやさしいメロディーと声が流れてきました。ほんとうに懐かしいですね。スコット・マッケンジーと言えば“フラワー・チルドレン”というアメリカの社会現象から出てきたミュージシャンですよね。当時のアメリカはベトナム戦争という“強さ”を強調する戦いの裏に、“疲弊”というアメリカの影がありました。『花のサンフランシスコ』はギターの弦の“チューン・チューン”という音がぼくは好きでした。レコードジャケットはサイケデリック(この言葉も実に懐かしいですね)ですが柔らかい感じで、マッケンジーが花に包まれたイメージのデザインでした。レコードを持っていたのですが行方不明です。1969年代終りのころの曲だったと思います。
やさしさの時代が必要だと思います。明日の糧のために成長は確かに経済の上では必要でしょうが、『強さ』は疲れます。子どものころ、「何事もほどほどにしなさい!」と親からよく叱られていました。




Ring0001_4
『いい日。だれかが待っている。』
〈C〉永野宏三

西予市立美術館「しろかわギャラリー」・2010年 第16回全国かまぼこ板の絵展覧会
佳作賞




ダガシックパーク。旧い時代のお店の黄金期。

2010-06-24 06:07:42 | アート・文化
狭い間口のお店に所狭しとお菓子や玩具が積み上げられた世界は子どものダガシックパークでした。そうそう駄菓子屋は子どもにとっては、情報交換をする社交場でもありました。お店の奥はすぐ上がり口になっていて畳があり卓袱台がありと、生活の匂いがプンプンしていました。
いちばんの買物はやはりどうしてもクジ。紙を破って当りを狙う三角クジ。数本の糸から当りを狙う糸クジ。紙を舐めると薄らと当りの文字が出てくるクジ。当りが外れたらスカといっていました。そうそう当りが出るもんではありません。いわば、小銭を使わせる子どもだましみたいなもんでしょうか。
しかし今思い出したらどうでもいいようなものを売っていました。指に土色したクリーム状のものを指につけて擦ると煙りが出てくる遊び。爆竹というのでしょうか、2B弾。いまでは考えられないものを売っていました。得体のしれないお菓子も売っていました。ベターッとした糊状の甘酸っぱいもの。ゼリーではない。ソースの味やカレーの味がする紙切れ状のようなイカ。タバコに似せたシガレット。ミントみたいな味をしていました。チューブに入ったチョコレートみたいなものと種類は豊富にありました。今思えば、赤や青、ピンク色と毒々しく極彩色に彩られたお菓子だったような気がします。
たまにクジが当ると馬鹿みたいに喜んだ非日常空間。毎日がハレの縁日であるダガシックパークでした。


Dscf0005
私の思い出。〈C〉永野宏三