門司駅発、日豊本線中津行きの電車に乗って座席につくと、向こう隣の席に座っている人が小さい鏡を手に眉毛に眉墨(この表現はかなり古い)を描いていた。ああ、今的に公衆の面前で女性が化粧をしているなと思ったが、よくよく見ると一瞬えっ!と唖然としてしまった。なんとそれは小太りの30代前半くらいの男性だった(間違いなく男性と認識)。おしゃれで自分の眉毛に描き足しているのだろうか。よくよく考えると、男性でも今は眉毛を手入れしていてカットしている人が増えてきた。ぼくは床屋に行った時に床屋の主人が勝手に伸び切った眉毛の端はしをカットしてもらうくらい。時代はますます境目がなくなってきたと思った。
今巷では古いものの考え方は時代にそぐわないということを『昭和の考え』と云うらしいです。
昭和と云う時代はもう21年前に終っているのですね。地方都市は平成になってそれまでののんびりしていした町の風景が、そろそろと云うかやたらと町が街になり公共空間が綺麗になっていったような気がします。いわゆる国あげてスクラップ&ビル化していったのだと思います。いわゆる新しいものがいいと云う考えでしょうね。
人の行動や考え方を昭和の考え方でやると今の進歩的な生き方をする人たちからすると一刀両断で切り捨てられるらしいです。つい最近までアブレッシグな生き方というのがもてはやされましたけれど、そういう世界の『考え』方からするとぼくなんか典型的な『昭和の考え』方人間になるのでしょう。
時代は不況からくるのか殺伐とした空気感が漂っている感じがするのですが、それとは裏腹に街には超高層ビルや超現実的な店舗デザイン、ハイブリッドなる最新の車などがますますきらびやかな装いを見せているような気がします。また、経済を促進するためにエコをキーワードにしたイベントなどが多くなってきたような気がします。
新しい構造をつくる時代はいいのですが、何かたいせつなものまで忘れられたり捨てられてしまったりと失っていったものがあると思います。メンタルなものの思考は個人それぞれの座標軸の違いがあって当然だと思いますが、今の時代からすると『昭和の考え』は個人の思考まで切り捨てられるのかなと思ったりします。
昭和と云う時代はもう21年前に終っているのですね。地方都市は平成になってそれまでののんびりしていした町の風景が、そろそろと云うかやたらと町が街になり公共空間が綺麗になっていったような気がします。いわゆる国あげてスクラップ&ビル化していったのだと思います。いわゆる新しいものがいいと云う考えでしょうね。
人の行動や考え方を昭和の考え方でやると今の進歩的な生き方をする人たちからすると一刀両断で切り捨てられるらしいです。つい最近までアブレッシグな生き方というのがもてはやされましたけれど、そういう世界の『考え』方からするとぼくなんか典型的な『昭和の考え』方人間になるのでしょう。
時代は不況からくるのか殺伐とした空気感が漂っている感じがするのですが、それとは裏腹に街には超高層ビルや超現実的な店舗デザイン、ハイブリッドなる最新の車などがますますきらびやかな装いを見せているような気がします。また、経済を促進するためにエコをキーワードにしたイベントなどが多くなってきたような気がします。
新しい構造をつくる時代はいいのですが、何かたいせつなものまで忘れられたり捨てられてしまったりと失っていったものがあると思います。メンタルなものの思考は個人それぞれの座標軸の違いがあって当然だと思いますが、今の時代からすると『昭和の考え』は個人の思考まで切り捨てられるのかなと思ったりします。