永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

ビートルズのウイットとパフォーマンス。

2009-12-31 11:03:54 | 日記・エッセイ・コラム
BS放送で、たぶん年末用娯楽番組に構成された番組だろう、1964年にビートルズが初めてアメリカ公演した映像が放映されていた。ニューヨークとマイアミでのTV出演とコンサートの映像。ビートルズのメンバーとスタッフの詳細な声のやりとりを中心にしたドキュメントを珍しく見る。ウイットの効いたそしてストレートな物言いは、メンバーは自信を持って自己表現しているようだ。特にポール・マッカトニーのインタビューやカメラ回るその場の雰囲気を適格に掴んで、ユーモアたっぷりに時々皮肉も入れて、いかにもマスコミ受けする対応をする。天性的なものだろう。愛嬌のある顔で会話の中に時々「原子爆弾反対」「ローマ法王は要らない」というメッセージを発するのにはおかしかった。当時冷戦時代をふまえてのユーモアなのだろう。ビートルズの音楽性の出ているパフォーマンスがその頃からあったことが映像でわかる。


便利さの残骸。

2009-12-30 14:46:48 | 日記・エッセイ・コラム
この何年かはずっとオーディオとかテレビを買い替えるということはしなかった。でもよくよく考えてみると、現在の物、それ以前の過去に使用していた物はそのままある。業者に引き取ってもらおうと、倉庫の中を片付けていたら、ポータブルラジオ・オーデイォコンポ・テレビが出てきた。ほかにもコンロ・扇風機・炊飯器などもかなりの量が出てきた。どれもこれも古いデザインのものばかり。自分ではシンプルに生活していると思っていたが、なんで、こんなに物持ちしていたのだろうか。自分ながら呆れてしまった。16年前くらい前に使っていたパソコンとプリンターも出てきた。パソコンは今ではソフトが合わないから使えない。その内いつかは廃棄処理しなければと思うだけで、あっとい間にゴミ化してしまつた。思いっきり引き取ってもらったら、気分がスッキリした感じになった。振り返ってみると、それらの物は今からすると無駄のようにも思えるが、使用していた当時は便利に使っていた。意外とエゴで便利さを買っていたようだ。


いつでも夢を。

2009-12-29 07:07:49 | 日記・エッセイ・コラム
このところの寒さに負け、ひいていた風邪がやっと納まった。鼻から入った菌が耳に入り難聴になるわでさんざんな師走となる。暮れにいただいた様子伺いはご時勢に嘆くことばが多し。日本・世界と迷える地球になってしまったから地球の自転が狂ってしまった余波かもしれない。U.Sさんから富士山シリーズ・カレンダー恵送いただく。ユーモアたっぷりのグラフィックアートに思わず、心のひだが緩んでしまった。ユーモアの周波数を日本人は浴びる必要がある。目で楽しみ、脳で感じる。U.Sさんのアートは夢があり暖かい。


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人生劇場。

2009-12-25 15:58:07 | 日記・エッセイ・コラム
最近は政治がずいぶんと市民に近づいてきたけれど、やはり不透明な政治家の行動は相変わらず。昨日、わが国首相が世論を気にしながらの陳謝会見で、記者の質問に丁寧に長々と説明していた。国民はわかってくれていると言った思いで、まじめに説明に務めていると言った風の表情を見せていた。でも、目は沈んでいると言うか、座っている。口だけがスラスラ動いていた。全国のTVに顔をアップされて、陳謝と説明をするということはどんな感じなんだろうかと思った。針のむしろに座っていると言う感じに見えた。両隣りに座っている(誰かはわからない。秘書か弁護士か?)ふたりは正面を見たまま。首相の弁論だけがほとんどの時間を費やしていた。現代人はいろんな病気に加えて鬱が多いそうだ。総理というポジョンは究極の権力を持つけれど、それと同じ重責があるし決断を必要とされる仕事であるが、孤独の中の仕事で、TVの中の表情を見ていると他事なから要らぬ心配をしてしまう。人に見られている部分と、自分の行動する時の頭の中。誰もが各々の行動パターンを持っているけれど、時には予期せぬ反映というか反動がある。人生を長く経験していると、自分なりのディベートで社会を行動する。人生はよくドラマに例えられる。そう言えば、「♪吹けば飛ぶような~」『人生劇場』という歌もあった。何代前かの首相も答弁か何かの時に、咄嗟に「人生いろいろ」と紋きりで切り捨ててしまった。人それぞれで個性の違いもあるのだろうけれど、時の人の顔を見ていると性格がよく解る。でも、それで政治が左右されると国民・市民は恐い。最近、『工夫』という言葉をあまり耳にすることがなくなった。子どもの頃、親や学校の先生、大人たちから、何か困ったこと、行き詰まったりした時は『工夫』しなさいとよく言われた。母親からは、「あんたは出来が良くない上に頭が悪い。でも人間には完璧はない。だったら、知恵を絞って『工夫』して生きていきなさい。親はいつまでもいると思いなさんなよ」と、絞る知恵もないぼくはよくやられたものだ。


花のサンフランシスコ。

2009-12-24 22:14:21 | 日記・エッセイ・コラム
CDやレコード盤を整理していたら、LPアルバムやシングル盤が出てくる。こんなにもあったのかと我ながら驚いてしまつた。よく考えてみたら、中学・高校生の時からのものを捨てないで持っている。1960年代後半のロックがが聴きたくなって、片付けはそっちのけで再生してみる。「花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー」、「アズ・ティアーズ・バイ/ローリングストーンズ」、「サンフランシスコの夜/ガボール・ザボ」、「春がいっぱい/ザ・シャドウズ」、「虹と共に消えた恋/ピーター・ポール&マリー」。どれも耳が憶えている。どの曲にも、その時代の時のことが頭に蘇る。高校生の時に手に入れたレコードはほとんど映画音楽かロック。ロックとは言っても今聴けばかなり叙情的。ジーンと響いてくる。特にローリングストーンズの「アズ・ティアーズ・バイ」はナーバスに漂う音がグッド。背景のバイオリンの音はビートルズの影響を受けたものだろう。今聴くと、当時はどうしてロックが学校で禁止されていたのかわからない。たぶん教育の世界ではミュージシャンの容姿が受けいられなかったのだろう。聴くほうにしては曲のメッセージに敏感に反応しただけど、今になると当時の社会の背景が滑稽に思えてくる。