永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

色々。

2009-09-30 17:18:32 | 日記・エッセイ・コラム
温度はそんなに無いが湿度が高いから中途半端に不快さが募る。イラスト1本仕上げる。出来栄に自分で納得。早速納品する。目が相変わらず乾燥気味なので、薬局に目薬を買いに行く。目薬を手に取るとパッケージに今までと違う表示がある。第一種とか第二種とか聞き慣れない表現が印刷されている。店の人に尋ねると「薬事法が変わって薬のことについてそういう表示になりました」。それだけでは意味が良く解らない。今の時代だから町のドラッグストアも食品などを売るスーパーと同じで、薬も消費者が理解して購入しなければならなくなって、個人の責任で購入しなければないということなのだろうか。自己責任の時代。そう言えば、通っている病院で出されている血圧の薬で一向に血圧が変化しないので、何気なく尋ねると「いちばんいい薬を出しているのですけどね」と、返事が返ってきた。きっと値段の高い薬かもしれない。医者も国のマニュアルどおりに仕事をしていて仕事が成り立っている。権力や大企業の言い分で法律はその時その時代の官や政治でころころ変わっているから、ぼくは臨機応変に自分のからだは対応しているようにしている。でも薬に頼らなければ健康を安定できない自分の体は自分がいちばん知っている。長い人生を生きてきた上の不摂生の結果がコントロールという代償。これは自己責任。人生いろいろ。


秋は展覧会。

2009-09-29 15:44:16 | 日記・エッセイ・コラム
Sさんが珍しく久しぶりに訪ねてくる。自分の知合いが個展をするので、ひとりで行くのが恥ずかしいと悩んでいたらしい。ふつと思いついて、ぼくだつたら付き合ってくれるんじゃないかと誘いに来た。ぼくは、「来週だったらいいよ」と応えた。世間では展覧会を見るということは、かなり構えることなのだろうか。「案内いただいたら、絵を見てくれということだから、気軽に行けばいいんじゃない」と言うが、Sさんにしたら、個展に案内されて見に行くことは、それはかなり勇気がいって恥ずかしいことらしい。


齢。

2009-09-28 05:58:21 | 日記・エッセイ・コラム
早朝からウォーキング。門司駅北口海岸線まで歩く。あたりはまだ薄暗く人の顔の判別がつかないくらいなのに、結構な数の人たちが散歩している。海峡の風を大きく吸い込んでストレッチを繰り返す。海峡は早朝から貨物船が行き交っている。海岸遊歩道を数回往復して一時間ほどして家に戻る。午後から福岡へ。所用を済ませてとんぼ返り。帰りの電車の中で知人にばったり会う。日曜なのに互いに仕事。汗ばむ残暑からくたびれて小倉までの車中熟睡。小倉・到津の焼肉屋で久しぶりに焼肉。心持ち疲れがとれる。


評価。

2009-09-23 19:18:28 | 日記・エッセイ・コラム
福岡県立美術館で福岡県展合評会の講師をする。人の絵を講評するのはあまり好きではない。各々の作品が個性を持って主張しているので、むしろ作家が自信の作品を解説するなりした方がよいと思う。でも合評会なのでお互いが評価をするのが、その会の趣旨なのであろうと、出品された方の作品のディテールについて思いを伝えることにした。年配の方たちが入選されていて、会場にその入選者の方も参加されていた。皆さん若々しい作品を発表されていている。作家の方に聞くと、教養でデザインをされているようだ。デザインを生業にしている自分にとっては新鮮に思えた。そうだ趣味のデザインがあってもいいのだ。趣きの味のあるデザインは人を豊かにするのだとぼくは思った。あまりプロ意識を持つことなく、自分をテーマに自由にデザインをして他者に思いを伝えるデザインが、今からの時代を表しているのかもしれない。


リアルな時代。

2009-09-22 20:13:31 | 日記・エッセイ・コラム
映画「カムイ外伝」を観る。原作は1970年代頃からだったかと思うが連載でよく読んだ。映画は劇画のとおりの表現をディテールにこだわり再現していて、原作の趣きが観るほうにリアルに伝わってくる。映画が伝えるカムイの自由になりたい気持ちはユ70年代から現在まで変わっていなかった。ストイックなカムイは自分を修練することにより時代と闘う。