永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

昭和30年代の残像。朝ドラはせつなく温かい。

2010-05-18 19:42:30 | 日記・エッセイ・コラム
朝ドラ『ゲゲゲの女房』を見ていると、昭和の商店街の町並や時代の背景をうまく描いているなと思います。貸本屋、紙芝居などなどetc。
門司駅近くの商店街にも25、6年前くらいまで貸本屋がありました。とは言っても、当時からするとずいぶん昔の本を並べていました。当然その頃は、もう貸本向けの本は製作されていないし現代的な漫画の時代です。古い漫画単行本を置いていたのです。月間誌漫画も置いていました。ぼくはいい歳していながら、貸本屋が懐かしく仕事が終った後に立ち寄り、『バロン吉本』さんの漫画をよく借りていました。バロン吉本さんは、昭和の時代を背景にした漫画を描いていました。ストーリーにノスタルジックさがありました。
紙芝居はぼくが小学六年生くらいの頃まで町に来ていました。紙芝居を観る代金として買っていたのでしょうがお菓子を買っていました。甘い味のするスカスカのせんべい(たぶん澱粉みたいなもので作ったもの)に疑似クリームっぽいもの又は水あめを挟んだものや、割り箸に凝固した水アメを巻き付けたものをコネコネしながら柔らかくほぐしながら見ていました。今から思えば、こんなことで楽しかったのですね。やっぱり僕らの世代にとっては、こんな思い出が宝物になるわけです。別にお菓子を買わないでも紙芝居のおじさんは何も言いませんでした。人情が資本の時代でした。この場に集う子どもたちは遊びの何たるかと言う境界線と、遊びのしきたりからくる義理の世界を重んじることを知っている世代でありました。
駄菓子屋では紙にニッケを染込ませたものが売ってあり、その紙(単なる紙。でも、当時は子どもの嗜好品)を噛んでいました。よくそんなものを売っていたものです。今じゃ不衛生で大問題です。当時のお菓子は食べた後に口や舌に鮮やかな色がついたものです。いつまでもその味を確かめるために、ずっと口の中でモクモグしていました。その後、紙の味しか残らなくなり、オエッと胃の底に重い不快感が響いてきて吐き気がしたものです。
土の道路に釘で絵を描いたり、アスファルトに石ぼくで絵を描いたりとほとんどお金のかからない遊びでした。学校が終ってから夕食までの時間が過ごせたものです。でも、今のきらびやかな時代から見ると結構せつないものになりますね。
『ゲゲゲの女房』は昭和の匂いがムンムンします。今の若い人には解らないかもしれませんが、やはり昭和(30年代の昭和)を生きた人間にはリアルに最高のタイムトラベルを追体験することができます。