永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

思い。

2009-01-28 18:33:25 | 日記・エッセイ・コラム
ひさしぶりにYちゃんから電話が入る。Yちゃんは僕の絵本をミュージシャンのAさんにプレゼントしたらしくて、Aさんは「いいね」と感動しくれたらしい。YちゃんはAさんの熱烈なファンだ。僕もそのひとりだ。Aさんはその昔、福岡ツアーをした時、僕が彼のポスターやチケットをデザインしたことがある。彼はデザインを気にいってくれて、そのポスターを全国ツアーにも使ってくれた。その後も、彼のポスターやチラシのデザインをしたり彼が企画した展覧会に作品を出品したことがある。彼の表現する世界はすごく個人的な世界で、音に日本人の情念を描く人だ。ヨーロッパでも彼の音楽は高く評価されている。昨今はCMソングやテレビのナレーターなどでも活躍している。彼は自分の表現にこだわる人だからメジャーな世界では煙たがられることもある。だからこそ根強いファンは彼を支持している。大相撲本場所で優勝した横綱の親方も熱烈なファンだとあるテレビ番組で言っていた。


自分の住む町。

2009-01-26 19:02:19 | 日記・エッセイ・コラム
この月毎年出品している展覧会の絵を完成させる。ことしの作品は自分が住んでいる町のことをテーマにする。ささやかな町のことを他都市の人たちは理解してくれるだろうかと迷ったが、僕は自分が知っている町しか描けないし表現もできない。たぶん自分の目で確認したことは、この町のことを知らない人に伝わるのではないかと、自分の思いから答が出たので素直に出品した。町は田に丁である。区切りで町割りされた土地は住む人にしか解らない。自分がその土地に息づいているからこそ町である。どこかの国は狭い土地で争っている。武力で住む人、子どもを殺りくしてしまう。どこかの国は人種を平等にしたが、解放された人たちどうしが格差をつくって悩んでいる。


メッセージと無常。

2009-01-23 19:26:04 | 日記・エッセイ・コラム
「♪ジャイグル? ディヴァ? ナッシング ゴ ザ チェンジ マイ ワ?ルド♪」。仕事をしながら聴いているNHKラジオからビートルズの「アクロス ザ ユニヴァース」の曲が流れてきた。とても懐かしく、早速CDを取出しリピートにして仕事場にこの曲を鳴らした。ある国の大統領は「イエス ウイ キャン」、「チェンジ」とメッセージを発信しているが、ビートルズは39年前に「チェンジ マイ ワールド」と問いかけていた。「We」ではなく「My」。三代前のある国の代表の人は「改革! 改革!」と声高らかにデモンストレーションしていたが、人間そんなに変革することはない。経験と知恵と工夫で生きている人間は、「無常」という心で生きている。


カリブの熱い風。

2009-01-18 16:32:11 | 日記・エッセイ・コラム
今日封切りの映画“チェ28歳の革命”を観る。中学生の頃だったかラジオから流れる♪グゥアンタラベーラ、ウウ~ン、グゥワンタラベーラ、グゥワンタラベーラ~♪と甘く陽気な唄をまねて口すさんで(僕の耳には「グゥワンタラベーラ」と、唄う人の発音が聴こえた)いたら、親父から子どもが訳のわからない外国の歌を唄うなと叱られたことがある。僕はませた子どもだったから意にも介さず、その曲の意味を調べたりしていた。僕の耳に聴えた「グゥアンタラベーラ」はキューバのグァンタナモという風土を愛するキューバの人たちの歌だった。ヘミングウェイの「老人と海」を読んだのもその頃だ。ヘミングウェイがキューバの居酒屋で呑んでいたというミントの効いたカクテルを注文したいと思い、社会人になって、かっこつけてホテルのバーで注文したらバータンダーが困ったような顔をして、ジンフィーズでごまかしたのを憶えている。グァンタナモという土地は、キューバーに唯一存在する米軍基地のグァンタナモ基地のあるところだ。映画では国連で堂々と演説するゲバラの姿が印象に残る。僕は機会があって、NYの国連の建物に一度入ったことがある。厳しい身体チェックを受けて入り、テレビなどて見慣れた会議場に入ったことがある。ここが世界中の利害や問題のコンセサンスを議決するところかとえらく感動したことを憶えている。国連内にある、いつか見たいと思っていたピカソの壁画「ゲルニカ」を目の前にした時はからだが震えるくらいに興奮した。国連の中に入ったらそこはいわゆる国際空港と同じで治外法権である。世界の歴史を案内したパネルに日本が先の大戦でひどいことをやったと解説してあったことにはがっかりした。見学していたら、近くにいたフランス人の高校生くらいに見える子どもが僕の顔をチラッと見て、たぶん連れの親だろうと思うがその親に小さい声で「ジャップ」と言ったので、大人気ないけれど、僕はムカッときたので睨みつけたら、その子どもは聴こえていないと思っていたのだろう、赤い顔をさらに赤くして列の後ろの方に隠れてしまった。


夢の中。

2009-01-17 12:05:39 | 日記・エッセイ・コラム
古い友人や先輩が夢に出てくる。スイスの友人、イラストレーターのRが「久しぶり日本に来た。今、小倉のデパートのイベントホールでアートショーをやっているので今からすぐ来い」というので、急ぎ着替えて会場へ行く。Rはスタッフも連れてきたという。会場は複雑に構成されていて幻想的につくられている。入り組んだ壁面に絵が取り付けられている。会場全体はディスコ風にオープンスペースがつくられている。Rは「ここで来場者を取り込んでパフォーマンスをやる」という。僕は「そんなひと昔にあったような奇をてらったことはせずに<、絵をまともに見せろ」とたしなめる。「よその国ではこれがあたりまえ」とニヤニヤしている。そんなこんなしていると、昔、勤務していた時の会社の先輩Sさんが絵を熱心に観ている。僕は近づいて「こぶさたしています。お元気でしたか」とあいさつをするが振り向いてくれない。Sさんはずいぶんお年を召したようだ。Sさんは僕の目の前から一瞥していなくなってしまった。そうすると、SさんはRが演出するパフォーマンスにわけのわからい動きで参加していた。まわりのスタッフが無表情で「あなたも、このパフォーマンスに参加しなければなりません」連れていかれそうになる。僕は嫌なので、その場から逃げるように手を振り切り、会場の人の波を泳いで外に脱出した。