永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

権力の彩り。

2009-08-30 10:11:46 | インポート
大ナポレオン展を見る。タイトルに大がついているのが、主催者の意気込みの表れなのか、ナポレオンの偉大を象徴したものなのか。一介の軍人ナポレオンが皇帝に登りつめ帝国を築きあげた権力の背景に美術を愛でたことはよく知られているが、ヒトラーや徳川幕府などの権力いずれも芸術文化を育てたことは同じだ。テンペラ画による肖像画は着ているサテン地の表現は見事なり。工芸彫刻職人の手によるティアラは見もの。だが反権力とみなされた芸術は何れもつぶされてしまう。いつの時代も同じ。
帰りの電車に時間があつたので、何年振りかで、9号線沿いの瑠璃光寺から山口藩庁、木戸神社を歩く。山沿いだから緑が目を和らげ山口市内を遠望できる。明治維新地の名残りを確認する。途中夕立ちがくるが駅への道に生い茂った並木道が雨よけになってくれるので助かる。山口駅近くのそば屋で食べたそば汁がおいしかった。セルフで選べる具を取る方法がおもしろい。よくばって数種類の具を満載にしたら、かなりお腹を満たしてくれた。鰹の粉をまぶしたおむすびもおいしかった。
帰りの電車の中で赤ちゃんを連れた若い中国人夫婦になにやら尋ねられるが、中国語と日本語ではさっぱり通じないので、車掌を呼ぶがこれも通じない。単語の英語で行き先のことなのかを聞いてみるが、やはり通じない。途中乗り換えの駅で各々違う電車なので、その後どうなつたかは解らない。


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時代と人模様。

2009-08-29 06:38:26 | 日記・エッセイ・コラム
バスに乗っての帰り、砂津からふたりの女子高生が乗ってきた。ふたりの姿を見てあぜんとした。制服のチェック模様スカートは超ミニにしていてお尻スレスレ。開襟風のブラウスの第二ボタンまでを外している。さらに顔のまつげは、今の流行りか、カールした長めのまつげにピンク色の口紅。フィギュアのおもちゃを見ているような感じ。ふたりは座るといきなり通路に向けて足を4の字に組んで、互いに喋りだした。回りの年配の女性はしかめっつらの顔をして、やはりあぜんとしている。たぶん最後の夏休みで部活かなにかの帰りだと思うが、夏休みだけの装いだろうか。今どきの高校生は化粧をするとは聞いていたが、ここまで進化しているとは驚いた。その昔は突っ張ったような格好をする生徒がいたが、今の生徒は制服をファッション雑誌から抜けでたようなフィーリングらしき格好にしている。ひとりの子が富野で下車の準備。「俺、ここであばよ」。あとひとりの子も「あばよ。」えっと、耳が驚いた。男言葉で発している。たぶんふたりは遊びかファッション感覚で、そのようなスタイルと言葉で楽しんでいるのだろう。今の時代はジェンダーかなにか知らないが、なんでも比較・差別になってしまうから、うかつに人のことは言えない。初老のおじさんから見ると時代と人を見て考える。単純なのか複雑なのか時代の感覚は見えてくるものと見えてこないないものがある。でも人の世界は、次から次ぎに新しいかたちの人類が出ていることは確かである。ますます管理社会になっても、行動ひとつをとっても個性的で型にはまらない人類もいる。過去のデータで人を判断してはいけない。その子たちから回りのおとなを見ると、どんな風に見えているのだろうか。


風に乗る音。

2009-08-28 13:26:58 | 日記・エッセイ・コラム
昼の食事をとった後、仕事を始める前の独特な間合いの時間というか、もったりとした気配の間合いに近くの高校からブラスバンドの音が風に乗り流れてきた。戸の上山から吹きおろす風に乗ってきたのだろう。懐かしい「ワシントンポストマーチ」の曲だ。何度も演奏をやり直しているみたいだ。夏休みの終りに最後の仕上げをやっているのだろぅ。コンクールに出るのだろうか。威勢のいいメロディーなのだが、ブラス独特のそれぞれの吹奏楽器の音に太鼓の音が引っ張って、午后のけだるい時間にここちよく耳に通る。学生時代、放課後に流れていた吹奏楽部の音と同じで時間のうつろいを懐かしく思い出した。


表情と絵と滲み。

2009-08-27 07:05:57 | 日記・エッセイ・コラム
画材の仕入れに行ったら、画材店の壁面がギャラリーになっていた。店員によると客のオーダーで最近開放したそうだ。20代の女性が展示していた。女性は自分の個展留守番で受付けのテーブルでスケッチブックを広げて、手持ちぶたさかデッサンしている。ぼくが絵を見ていると、後ろから声をかけてきて説明してくれる。作品はいわゆるイラストで、女性らしく可愛い絵だ。描かれている人物の表情は独特のキャラクターで、笑ったりものを見つめるているような表情を描いている。ひとつのスタイルを作り上げるように、一生懸命描いている。トツトツと素朴な語り口で説明してくれる女性は絵を描くことが純粋に好きというオーラーを出している。その女性の顔を見ていると作品の登場人物のキャラクターと同じ表情なのに気づく。ほほえましく、説明してくれる作者の一生懸命さがそのまま無意識に絵のキャラクターになっているのかもしれない。こぢんまりとしたギャラリースペースからは若い作家の表現へのひたむきさからくる息吹を発信していた。


こころ模様は秋。

2009-08-25 06:29:13 | 日記・エッセイ・コラム
デザインしているチラシに大量の写真組込みをしていてパソコンに意識が集中していたら、町を走っている選挙カーから発するマイクの声がじわ~っと耳に入ってきた。大通りから一歩入り込んだ道にも選挙カーが入ってくるのは、このぼくが住んでいる町では珍しい。前日までは小倉の町のいたるところを、選挙カーが回っていたが、選挙運動も後半に入ってきたから門司の方にも回ってきたのだろうか。二大政党の候補が互いに連呼している。言っているのは自分の名前と頑張っていますの言葉の繰り返し。それと、「政権交代」「安心安全。確かな政策」を互いがポイントとして言っているようだ。でも、聞いているほうには説得力を感じない。マスコミが煽っているせいかも知れないが、競馬レースを見ているような感覚だ。身近に響いてこない。成熟疲弊した諸々の懸案を治療していくにしても、一年二年で片付くのはほぼ非現実的。何十年かかるか。黄昏れ時の日本、互いがけなしあっていてもラチがあかない。日中は残暑があるが、カンカン照りほどはない。ことしの夏は入道雲をあまり見ていない。空気感には秋の気配あり。夕方になると雲がちぎれて、空は上からブルー、下からはオレンジ色のグラデーションが混じりあったトワイライトがすっかり秋を演出している。