永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

秋光景。

2009-10-31 19:04:49 | 日記・エッセイ・コラム
門司港に用事で行ったついでに、もう何年も行っていない桟橋通り近くの柳月堂に和菓子を買いに行く。砂糖菓子も懐かしく買う。店内には鉄道列車のエンブレム・プレートがいくつも飾ってあった。今は廃線になっている行き先名プレートもある。かなり貴重なもの。店員さんに聞くと店主がかなりのマニアで集めていると言う。のどから手が出そうになったが、店員さんの話しを聞いていると売ってくれそうにはなく眺めるだけに終った。昨日電話で話したばかりだが、Yちゃんの勤める店にも訪ねてみる。相変わらず飄々としている。音楽談義や近況の話しに終止する。昔懐かしい話が出るが中には他界した人もいた。ミャージシャンのAさんは還暦になったそうだ。東京・博多などで積極的にライブをしている様。ぼくの誕生月の干支が入った箸をくれる。なんとも微妙な気づかいは相変わらず。西海岸に出て、やじうま根性で数日前に衝突事故をおこした海上自衛隊護衛艦を見に行く。案の定岸壁にはやじうまの人だかり。護衛艦の船首はかなりの大打撃による傷。事故の凄まじさはかなりのもの。全国ニュースの話題になったものの、あまりにもアクションがひどい。でも船が繋がれている岸壁は皮肉にも観光地化していた。


価格の価値。

2009-10-30 14:05:36 | 日記・エッセイ・コラム
作品の取り付材料を近くのホームセンターで揃えたら、お昼時になったせいかお腹が空いたので近くのファミレスで食事をすることにする。最近、いやこの何年はファミレスではまず食事をしていない。メニューの日替わりランチの値段を見たら360円。その安さに驚いた。スーパーの弁当でも500円以上はするのに。ハンバーグと鶏の照焼きというそのランチを頼んだ。味つけが少々辛いけれどおいしい。ボリュームもしっかりあるし、添え物の野菜も新鮮だ。子どもが小さいころは時々ファミレスで食べることはあったが、それにしても価格がここまで進化しているというか退化しているというか、安さには驚いた。店内を見回すと主婦らしき女性どうしで食事している人やサラリーマンの人たちでいっぱい。日頃行かないところもたまには見ていないと時代の流れというか生活の感覚までがずれてしまう。


無理しない。

2009-10-29 06:54:52 | インポート
二日前に関門海峡で起きた護衛艦とコンテナ船の衝突事故がその後の検証を新聞などで報道している。韓国のコンテナ船は海峡をよく往来している船だ。海岸に出た時によく見かける。結構大きい船だ。船首から後尾の長さもだが、操舵室までの高さもかなり高い。明るくモダンな船体のデザインを施して、いつもコンテナを満載して優雅に海峡を航行している。互いの船首を傷めている姿をテレビニュースで見て、ああ、どんなに頑丈だと思ってみても、造られたものは無惨にも穴が空くんだと思った。
地上では、今まであった歴史的な建物や地域を壊して巨大な高層ビルなどをつくってきて、いわゆる再開発という構想のもとに町を変えてきた。高いものを大きいものをという発想はあっても、今まで長年使ってきたものを、穴を埋めるとか、手直しするなどの発想はあまりやってきてこなかった。環境という名のもとに、エコポイントとかハイブリッド車購入優遇制度とかで、相変わらずきらびやかにモノを売ることに、大企業を中心とした経済行為が行われている。物差しは身の丈目線で計らないと環境を壊してしまう。



非常時の騒音。

2009-10-28 13:11:20 | 日記・エッセイ・コラム
昨晩20時30頃テレビ画面に速報で、関門海峡海上に海上自衛隊の護衛艦とコンテナ船が衝突炎上したことが報道された後、22時30位から0時位まで、我家の上空を数機のヘリコプターが行ったり来たりしていた。夜中というのに低空で飛びバタバタと重く低い音をたてるからかなりうるさい。報道のヘリコプターが苅田の飛行場から戸の上山上空を経由して飛んできたのだろう。
きょう11時頃、飼猫の予防接種を受けるため車が家からすぐ下の大通りに出たところで、目の前をパトカーがけたたましいサイレンの音を鳴らしてとおり過ぎたかと思ったら、パトカーがすぐ近くのコンビニの駐車場に止まった。コンビニの店内からは、これもけたたましい非常ベルの音があたりいっぱいに鳴りひびいていた。その後数分して、動物病院で用事をすませて帰っていたら、家の近くの集会場前で警察の刑事さんから「近くのコンビニで強盗事件が発生しました。二十代位で黒の風防付きのパーカーを着た男を見かけたら、110番してください。家の戸締まりをしっかりしておいてください」と言われた。こんな町にも新聞などで報道されるような事件が起こるとは恐くなってしまった。世の中かなりすさんでいる。



普通に。

2009-10-27 18:50:47 | 日記・エッセイ・コラム
日常を生活していると、なぜ? だから? ということばがいつもつきまとう。このことばが意外と新しい発見につながることがあるし、意外なできごとの結果につながることもある。とつぜんの知らせになぜ? だから? という結果はあまり必要とするものではない。
お世話になった人が突然亡くなったいう知らせは、あまりにもつらくなる。七つ違いの人生の先輩の訃報にとまどい、なぜ? だから?という気持ちが交差してしまった。あんなに元気だつた人がと考えこんでしまった。どんな場面の時でも、いつもふつうに誠実に接してくれた人が、なぜかものを言わずに突然自分の前からいなくなつてしまう。なぜ? だから? という訳はこの世には必要ないのかもしれない。