七年ぶりに宗像のTさんから電話がある。Tさんは現在、今まで勤めていた会社を経て、小倉のある施設の館長をしていると近況を話す。たぶん定年退職して新しい職場に進路を得たのだろう。
先週まで門司港で開催されていた門司区美術展にぼくが出品していた作品をたまたまTさんが観たので電話をしたとのこと。
Tさんは今まで会社員をしながら、まんがを描き絵を描いてきている。その努力と意志の継続には敬服する。
久しぶりに聞くTさんの落ち着いてゆっくりした口調の声は変っていなく懐かしい。Tさんの絵にはその人柄が表れていてほほえましい。
Tさんの声に巡る月日は絵が繋ぐ。
先週まで門司港で開催されていた門司区美術展にぼくが出品していた作品をたまたまTさんが観たので電話をしたとのこと。
Tさんは今まで会社員をしながら、まんがを描き絵を描いてきている。その努力と意志の継続には敬服する。
久しぶりに聞くTさんの落ち着いてゆっくりした口調の声は変っていなく懐かしい。Tさんの絵にはその人柄が表れていてほほえましい。
Tさんの声に巡る月日は絵が繋ぐ。
台風の影響で風があり、本屋で買物帰り道をのんびり歩いていたら家近くの大通り、10m向こうを人がふらふらと歩いている姿が見える。その人は立ち止まりとつぜん歩道脇植込みにしゃがみこんで四つ這いになった。ぼくがその人に近くなった目の前で立ち上がったかと思うと、とたんに仰向けになって倒れてしまった。見るとかなり高齢者の方。顔は真っ赤になっていて、涼しい風は吹いているけれど、まだまだ暑いので気分が悪くなられたのかもしれない。
声をかけるが応答がない。一瞬のことでぼくは救急車を呼ぶか、警察を呼ぶか迷った。気を取り直して、「大丈夫ですか。救急車を呼びましょうか」と、再度声をかけたみるが返事がない。ぼくは、ますます焦ったが、えいやと救急センターに電話を入れた。自分では落ち着いて行動しているつもりだが、電話の相手の質問にも答えないといけないし、倒れている方の背中も支えないといけないし、かなり焦ったが話している内に5分ほどしたら、救急車がやってきて救急隊員の方たちがあっと云う間にすばやく処置され運ばれて行った。
突然のできごとに出会ってからその時間は随分と長く感じたが、振り返って時計を見ると10分もかかっていなかった。
声をかけるが応答がない。一瞬のことでぼくは救急車を呼ぶか、警察を呼ぶか迷った。気を取り直して、「大丈夫ですか。救急車を呼びましょうか」と、再度声をかけたみるが返事がない。ぼくは、ますます焦ったが、えいやと救急センターに電話を入れた。自分では落ち着いて行動しているつもりだが、電話の相手の質問にも答えないといけないし、倒れている方の背中も支えないといけないし、かなり焦ったが話している内に5分ほどしたら、救急車がやってきて救急隊員の方たちがあっと云う間にすばやく処置され運ばれて行った。
突然のできごとに出会ってからその時間は随分と長く感じたが、振り返って時計を見ると10分もかかっていなかった。
絵・いつか見た風景〈C〉永野宏三
平成24年度門司文化祭『第62回門司区民美術展』で教育委員会賞を受賞しました。門司区地域の展覧会です。
絵画展に出品するのは初めてで、小学校で市の小学生絵画展で賞を取って以来です。ぼくは今までデザイン展やイラストレーション展に出品するのがほとんです。言わばデザインを生業としたアカデミックなものでしたから、絵画と云う今までとは違う世界に恐れ多くも足を踏み入れた感じです。新鮮な感動を享受しました。
となり町に住む人生の先輩である画家のMさんが以前から『あなたは門司に住んでいるんだから門司区民美術展に出品しなさいよ』とすすめられていたのですが、ぼくは絵画と畠が違うので、あまり乗り気がなくそのままにしていたら、ことしになって、又すすめるられて、とうとう出品することにしました。ほくにとっては新鮮なアクショシになりました。しかも、ぼくの生活の場である門司のコミュニティーでの作品発表であります。なんだか、ぼくの尊敬するアンリ・ルソーになった気分であります。
発表した作品は過去に描いていた門司港の町を心象風景にしたイラストレーション作品です。9月13日まで、門司港レトロ・旧門司税関ギャラリー1階に展示されています。