永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

正月の風情。

2013-01-05 08:59:16 | インポート
正月三が日があっと云う間に終りました。風情をあまり感じられません。子どものころの正月と云えば、何もかもが新しく、気持ちが新しくなったような気がして清々しい気持ちになりましたが、現代の風情においてはなぜかしら正月を迎えたと云う気持ちを感じることが薄くなってきたような気がします。年をとってきたせいもあるんですかね。昨今のお節は贅沢になってきましたがあまり食べたいという気持ちにはなりません。年のせいもあり健康に気をつかうようにになってきたせいでしょうか。そう云えば、ことしは町できもの姿をひとりも見かけることはありませんでした。せめて正月気分をささやかに味わうために、きょうは箪笥に眠っているきものを出して着てみようかなと思っています。


師走のこころ模様。

2012-12-15 14:03:13 | インポート
ひさしぶりにブログ投稿です。さぼっていたわけではないですが、師走にかかり手間のかかる仕事に没頭していて、頭の切り換えがきかず、歳のせいもあるのですけど。
ことしは喪中のあいさつをかなりいただきました。年下の人も鬼門に入られて気持ちは複雑です。昨日、月一回の健康チェックに行き診察が終りドクターと世間話になって、その話しになりました。ドクターは「死は人生観で捉えないといけないですね」と。生きている間、病気をつくるのも、健康でいるのも、自分の人生感からくるものかもしれません。



継なぎ目。

2011-04-11 13:57:10 | インポート
選挙が終って東京だけが盛り上がったように思います。地方はしらけていて、当選された方のほとんどは相変わらず、地方からの発信とか繁栄といった型通りのメッセージしかありません。結果後も当人さんたちの個性と魅力は感じませんでした。
それからすると都知事のメッセージは個性的でアピール力がありました。自動販売機やパチンコは必要ないと言い切るリーダーは、わかりやすく身近なことばで発信しているようです。文学者らしくことばが明解です。やはりことばは大事だと思います。
いまからの時代を生きていく上でのアンチテーゼとして、ひとそれぞれのアイテンティティや生き方が問われてくるののかなと思います。モノに対する価値判断がひとつ狂うとおかしくなるだろうし、ちょっとした判断で、これまでと違う生き方ができるかもしれません。
日本の文化には、生活や行動に“ワビ・サビ”といった茶の文化みたいなものがあったと思うのですが、それは質素な生活の中に知性や感性を感じる精神文化みたいなものだと思います。それは美意識にもつながる日本独特のものだと思います。このことは、それほど資源を使う必要もなく、ほんとうの意味でのエコだと思います。便利さ、享楽、豪華さを追い求めてきた高度成長期からバブル期を経て現在まで、質素というデザインの考え方は、便利さ、享楽、豪華に引け目を感じることなく新しい価値になって、これからの時代の大系をつくっていくことになるのかもしれません。



思い出の町。

2011-03-05 20:58:48 | インポート
三月になって、なぜだか、ふと思い出して故郷の熊本に行ってきました。
帰りたい、帰りたくない。帰れない。故郷にはいろんな思いがあります。
JR九州が3月12日に新幹線開通するのに伴い、在来特急が昼間の時間帯に無くなることもあり、従来の特急電車に乗りたくなったのも要因であります。回帰という時間軸が呼び起こさせてくれました。
42年前の高校生時代、学校に通った通り道を追って歩いてみました。記憶をめぐり、現在の通りの光景に写るマンションやビルを消去してみると、町の様子は当時のままでした。ほっとしました。
写真は高校生時代に通った通り道の町です。島崎、新町、洗馬町です。情緒あるしっとりした町です。町のつくりと雰囲気は当時と同じままでした。熊本城のすぐ近くです。
やはり故郷は“帰りたい。帰りたくない。帰れない。”。




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職人の町、そして職人の姿が似合う町。門司港。

2011-02-09 14:29:55 | インポート
門司港の町を、それも今もところどころに昔ながらの町並の風情を見せる錦町、庄司町、清見などに、これも昔ながらの店の佇まいを見せる靴修理店、酒屋、着物ゆのし店、テーラー、料亭、料理店など職人気質を持って営業しているお店が多々あります。どう見ても、変わらず戦後を経て昭和60年代ころの店の佇まいをそのまま残していると思われる店が結構あります。ぼくはこういうお店や建物が好きでよく絵の題材にします。
お店の中を覗くと、だいたい80才前後くらいのお年の方がお店を守っていらっしゃいます。昔の門司港は門鉄、三井などの大手商社や官公庁が集中していましたから、その社員の人たちが洋服を仕立てたり、接待で料理を利用していたそうです。
職人は全国津々浦々からこの門司港に一稼ぎを目指して集ってきていたようです。そして先代の跡継ぎがそのままこの町に定着し今に至っている例が多いようです。栄町に平民食堂というレストランがありましたが、初代は東京浅草から門司に来られた方で、大正・昭和・平成と三代で店を守られてこられましたが、現在は営業はされていません。平民食堂ファンとしては寂しい限りですが、時代の流れというものもあります。仕方がありません。二代目のおかみさんはしゃきしゃきされた気質の持ち主で、接していても気持ちのよい方でした。
因みにふぐ料理と言えば下関が代表ですが、日本ではじめての“ふぐ料理免許”を取得した第一号の人はこの門司港かららしいです。





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靴修理製造のかごしま屋。〈C〉永野宏三・ひろみプロ