永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

町路は狭く人の情けを巡る道。門司港千日。

2012-06-26 19:53:51 | まち歩き
日本は昭和40年代ころから町の風景が急速に変りはじめたと思う。30年代ころまでは戦前戦後からの木造家屋がまだ残っていた。僕が小学校低学年のことである。今でも憶えているが、住んでいる小さな町でも人が溢れて活気があった。
昔の町には人の匂いがあったように思う。それは暮しの匂いである。
東京オリンピックがあった40年代ころから、町も人も時代の流行りを意識しはじめたように思う。町の形態に変化を求めだしたのもそのころからだ。
門司港の下町から山手を繋ぐ町並みは現代に取り残されていると人は云う。住んでいる者にとっては、精神的に救われている町のような気がするのだが、それは昭和30年代のいきいきしていた面影を今に残しているからだろうか。


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門司港千日。

2012-06-24 06:19:49 | まち歩き
対岸下関と門司を繋ぐ海峡は海底トンネルや橋で便利に行き来できるが、そこは線をひいたように流れる海峡である。九州門司に育った者には向こう岸は本州という土地。海峡が旅への導火線となり、深い蒼緑の流れは知らない土地へ旅をしたいといういざないと憧憬をそそる。
門司という町舞台に住み暮している者は一途に住み慣れた町にこだわり、いつしか訪れるであろう未知の土地への道すじを夢にする。


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海峡は赤く、サンセットは向こう岸に。

2012-06-14 04:30:54 | アート・文化
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絵・『関門海峡は赤に染まって。』〈C〉永野宏三


梅雨が始まったというのに、まだそんなに湿気を感じないし暑くもない。そんな空気に駆られて、夕方ふと大里海岸まで歩いてみようと思った。家から徒歩で15分くらいで着く。海岸にはしばらく訪ねていない。
ひさしぶり歩く道だがが歩き慣れている。通りに面する町はところどころに空き地ができていた。かと思えば、この町には不釣合いな高層のマンションが幾つか建っている。世代交替などもあり、都合で古い家が処方されてのことだろうか。
古くこぢんまりとした町だけど長年住み慣れた町だ、風景が変化していることに動揺してしまう。気持ちが遮断されたよう気がする。
今の時代だからこう云う感傷は棄てたほうがいいのかもしれない。変っていく町の姿がそう云っているように思える。
途中にある市場で親子が商売をしているMさんが、店の奥から声をかけてくる。市場の角端にある店は軒先低く間口は狭いが、それが客にとってはかえって親しみやすいつくりになっている。
『久しぶりやね。どうしよったね。最近ぜんぜん会わんかったね』。
Mさんはぼくが以前勤めていた会社の同僚の弟Tの姉さんである。
彼女は嫁いでこの町の市場で長いこと商売をしている。
ごたぶんにもれずこの町も過疎化している。昔ながらの対面商売で地道な仕事を続けているこの店は年寄りに流行っている。
店先にたわいもない近況話しで邪魔をして再びぼくは足を進めた。JR九州大里旧操車場跡下ガードをくぐり抜けて海岸にほどなく着いた。
旧操車場があったあたりは、旧門鉄時代、貨車の入れ替えで夜通しレールを投光機が照らして昼間のように明るかった。そして、『ポヲ?ッ』、『グワッシャーン』と、せわしくかん高い機関車の汽笛と連結の音が鳴っていた・今も耳の奥に残っている。経済がまだまだ成長していたころの音である。
海岸線に出ると、対岸の下関彦島に夕陽が落ち始めいた。ちょうど釜山に向う関釜フェリーが陽の影になっていた。船がつくる波は岸壁にあたると、弾くように下関側へと押し返す。海峡の口いっぱいに夕陽と波を呑込む風景は変っていない。
海峡を挟むふたつの町を潮が繋ぎ互いに引き寄せるように狭い海峡をさらに縮めている。
あたりまえのように見慣れた関門だ。しかし時間が経って眼に映る今両岸には高層の建物も増え、姿は違っていた。








大きな栗の木のこと。

2012-06-08 19:17:00 | 日記・エッセイ・コラム
このところブログを書いていない。書くテーマみたいなものが見当たらず、また書こうという意欲が湧かなかったからかもしれない。
世の中は相変わらずせわしくいろんなできごとが多い。事かかない程にある視点があるはずなのだが、最近それらのことに興味が失せている。自分なりに表現してみようと思う気持ちがまったく湧いてこない。
梅雨がはじまったこの季節に、庭の栗の木がぐんぐんと背丈を伸ばし葉が庭を覆いつくす程にこんもりとした繁りが陽射しを遮っている。栗の木が持っている独特のすえた匂いをあたりに放っている。そして、昨年とは違った成長ぶりに感心している自分に気付く。季節の刻みが気付かせる。