永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

北九州市立東朽網市民センター『郷愁と夢 永野宏三・童画の世界』展

2010-04-30 17:38:00 | アート・文化
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童謡の里・東朽網であの頃に帰ろう
『郷愁と夢 永野宏三・童画の世界』展
北九州市立東朽網市民センター・ミニギャラリー
平成22年5月1日(土)~6月3日(木)/日曜日・祝日は休館
子どもの頃に陽が暮れるまで遊んだ事。畑や小川が子どもの遊び場だったあの頃。12点の童画で思いっきり懐かしいあの頃に帰ります。





曽根の神幸祭(開作神事)5月3日まで
朽網東地区の人形飾山は圧巻です。


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小瀬戸。海峡の頂き。

2010-04-26 09:18:40 | 日記・エッセイ・コラム
やっと春の好天。13年振りに風師山に登る。登山道は木々が繁りトンネル状態。以前はまだ空が見えていた。もみじが増殖している感あり。40分ほどで頂上。足はまだ衰えていない。眼下の関門海峡小瀬戸は下関
の海岸に高層の建物が随分と増えている。頂上はなにも遮るものはない。風と光りのみ。Rimg0035
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龍馬とシーボルト。グローバルな下関・唐戸。

2010-04-25 10:37:25 | 日記・エッセイ・コラム
先週、坂本龍馬が住んだ下関生活が知りたくて赤間神宮から唐戸の町を路上観察した際に、幕末におけるこの町の雰囲気に浸りたくて当時の資料を探していたら、『江戸参府紀行・シーボルト著』(斉藤信訳・平凡社・東洋文庫)に町の様子が詳しく書かれていた。シーボルトは長崎から江戸へ向う途中、1826(文政9)年2月23日に門司・大里から下関赤間関に上陸して24日間滞在している。
因みに1826年から36年後に龍馬は最初の土佐脱藩に下関に立ち寄っている。
シーボルトは下関の町をくまなく観察している。龍馬が下関を闊歩した町の地名がこの本に出てくる。下関旧市外の東端に位置する赤間神宮から始まり阿弥陀寺町・赤間町を経て、龍馬や志士たちが遊んだ稲荷町、田中町とくわしく町の情報収集している。「下関は日本における最も繁栄している中位の海港のひとつで、長門周防藩が九州との国内貿易をする中心地であり、船の出入りがたいへん多く活況を呈している土地である。」と、下関唐戸周辺の町の様子を記している。
1826年当時の町の人口まで調べており、1890軒の家があり、全住民人口は5140人。内男2860人、女2340人の数まを調べたり、入江の海の深さまで調べているから、細かい情報収集には驚くばかり。町の生活必需品などの小売り状況など下関の活況様子まで書いている。現代でいうスパイ活動であったに違いない。人口比から遊廓で働く女性数の考察まで記している。
シーボルトは日本国内の情報を、龍馬は視野を海外に向ける。幕末当時も現代の情報社会と同じグローバルな時代である。
シーボルトの足取りが龍馬の足跡に重なってしまった。



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つかの間の春。花、息吹く。

2010-04-22 09:39:00 | アート・文化
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夕暮れ時に仕事場の前の庭掃除をしていたら、日頃はぜんぜん視界に意識していなかったのですが、綿帽子を冠ったタンポポがけなげな姿を見せていました。小さな畑に植えている大根とねぎにも花を咲かせていました。手入れをしていないので、成長した野菜が自然に花を咲かせたというわけです。このところアンバランスな天気が続いていてあまり春を感じることがありませんでしたが、草花はぐんぐん春を息吹いています。



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ART BOXインターナショナル社刊・2010年度版 Newイラストレータズ・ファィル掲載の私のイラストレーションです。この本はイラストレーターの仕事インデックスになっています。アマゾンで購入できます。
※イラストレーション『春がきた』〈C〉永野宏三




逆戻り。春隣り。

2010-04-20 13:23:19 | 日記・エッセイ・コラム
春雨は 夢の中でも 雨が降る


ことしの春はよくよく冷えて雨が多い。やっと天気になったと気持ちが晴れ晴れとしたとたんに曇り、雨が落ち、風が吹く。着るものもそろそろ春ものが着れるなと思ったら冬のものに逆もどり。『ダンスが済んだ』。まるで回文のような気まぐれな天気が続く。
Fさんが珍しく電話を入れてくる。電話の向こうからは風の音がする。外から電話をしているのだろう。寒い中、いつもの高い声で張り切っている。春隣り。ほんとうの春が待たれる。