永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

お師匠さんも走る。

2013-12-24 13:32:19 | 日記・エッセイ・コラム
8月に、ある企画に参加してグラフィックのプレゼンテーションからはじまり、デザイン設計のアップ・フィニッシュまで四ヶ月かかり、師走に区切りよく一息つきました。気がつけば早師走、あっと言う間です。目はパソコン作業でモニターとの睨み合いで疲労の極みでした。血圧は上昇傾向、体にとっては、あまりいいことではありませんが、いいタイミングで一年が終わりそうです。
暮れに向かい寒さが厳しくなりそうです。暦では先日22日が冬至でしたから、これからが寒さは本番ですね。気を緩めないで体調維持に務めたいものです。
そうそう、気ぜわしさにかまけて、今年はゆず風呂をうっかりして用意していませんでした。



迷走、瞑想。

2013-12-20 10:19:12 | 日記・エッセイ・コラム
今年も残すところ僅かになりましたが、世間は相変らず話題にことかきませんでしたね。アベノミクス、オリンピック、景気のいい話が続いたかと思えば情報管理のゴタゴタ、ブレにブレた首都首長の混乱ぶりと、そしてさまざまに起きる事件と追い打ちかけるように今年最後までマスコミは大騒ぎました。平素、地方で静かな暮らしをしているものにも刻々と新聞、TV、ネットで煽るように情報が入ってきます。無関心でいればいてもよさそうなんですが、情報は勝手に一方的に入ってきます。
「世の人は我をなんともいわばいえ 我が為すことは、我のみぞ知る」。これは坂本龍馬が幕末に詠んだ和歌です。たぶん、幕末という混乱の時代を生きた龍馬のこころの内を読んだものと思いますが、この和歌を今、反復して読んでみると現代社会を生きてるいる者の一員としては皮肉にも聞こえてきます。我が為すことは、我のみぞ知る。これから先日本はどんな歴史がつくられていくのでしょうか。


大正から昭和へ、夢想する都市モジコウから起動する?ふたつの時代を俯瞰する柳瀬正夢アートの歯車は止まら

2013-12-14 10:05:51 | アート・文化
北九州市立美術館で始まった「柳瀬正夢1900?1945展」を見てきました。前々から楽しみにしていた企画展です。柳瀬正夢(やなせまさむ)縁の地である門司、地元北九州市ではじめて開催される柳瀬アートをまとまって観覧できるのは柳瀬アートフリークのぼくにとってはたまりません。
戸畑の鞘ヶ谷の山はみぞれまじりの寒風が吹いていました。そんな状況下でも、ぼくはドキドキ、ワクワク、興奮でからだ中がポカポカです。
柳瀬の仕事の凄さはこのブログで何度か書きましたが、地元北九州市では柳瀬の活動があとひとつ知られていません。そこに今回の展覧会はファンにとってはビッグなアクションであります。
門司港で柳瀬がアートに覚醒したという事実は、明治から急速に開発された、国策による近代国際港湾都市モジコウという都市形成が起動する過程にオーバーラップするように思えてなりません。柳瀬の旺盛でしかも猛烈なスピードでアート活動をする回転軸の歯車は止まることを知りません。しかし終戦真近、東京空襲で亡くなる時点であっけなくピリオドを迎えるという皮肉、ここに柳瀬アートの真骨頂があるように思います。
展覧会では膨大な柳瀬資料を観覧することができました。柳瀬の作品や資料は過去に何度か見たのですが、柳瀬の作品をはじめて目にしたのは20数年前、名古屋であったデザイン博のポスター館で見たポスター作品です。歴史資料として展示されているポスターのほとんどが、何となく画家が描いたようなポスター(いわゆる美人画を用いたような広告)が多い展示物の中で、柳瀬の作品はいかにもこれがデザインだと主張したアブストラクトな構図のポスターで、いわゆるグラフィカルなデザイン作品でした。明確なテーマの捉えかたと表現は、デザイン表現で重要になるコンセプトを持った現代の広告デザインに近いものです。柳瀬の感性の鋭さはもちろんですが、近代的デザイン理論を当時から持っていたと思われます。現代グラフィックデザインでも重要な技術でのひとつあるタイポグラフィーなどデザイン構成を駆使した先駆的作家と思います。先の大戦後、世界のデザインの潮流となるドイツのバウハウスデザイン理論にも劣らない先鋭的デザイン発想が柳瀬アートにの特徴であります。絵画畑の画家が描く情緒的な意匠的図案表現ポスターがほとんどである当時の広告媒体技術からすれば、その時代に柳瀬のデザイン技術は凄いことなのです。
こんどの展覧会で改めてじっくりと作品を観察し気付いたことに加え、ぼくなりに考察してみたのですが、ほとんどの作品が柳瀬の視点というか目線というか、柳瀬の目が対象物を俯瞰する角度で捉えた構図で描いているという点です。油絵、絵本の童画、写真作品などほとんどが上からの角度で描いたり撮られたりしています。浮世絵などの構図で見られるあの角度なのです。俯瞰することによる思考が柳瀬にはあったのでしょうか。門司を描いた油絵には顕著に見られます。演劇の舞台設計も手がけたりと複合的でマルチな柳瀬だから氏のアートの秘密がここにあるような気がしてなりません。もちろんこれはぼくの一面的な解釈ではありますが。
油絵展示ゾーンでは、いかにもゴッホやムンクに影響を受けたような筆致の作品があって微笑ましく思いました。
柳瀬には画家とかデザイナーとか、肩書きやジャンルの型はあてはまりません。あえてジャンル分けするとすれば「柳瀬正夢」そのものなのです。
柳瀬が大正・昭和を自由自在、縦横無尽に時代をいきいきと生きた証し、やはり柳瀬の表現回転軸の歯車は今も止まっていないと確信しました。



エンド ‘60s メモリーズ

2013-12-10 14:05:06 | 日記・エッセイ・コラム
毎日新聞日曜版の週間書評に「磯前順一著/ザ・タイガーズ 世界はボクらを待っていた/集英社新書刊」の記事に目がとまり、著者が宗教・歴史の研究者とあり興味があったので、さっそく小倉の書店に買い求めに出た。
何軒かまわったが、どの書店に尋ねても無い。最後に訪ねた書店で店員に検索してもらったら、「ありましたよ」と店の奥から19か20才くらいの女性店員がニコニコしながら持ってきてくれた。その女性はたぶん学生アルバイトだろうと思われる。愛嬌のある娘で、本の表紙を見ながら「タイガーズのファンなんですか」と声をかけてきた。ぼくは思わず「えっ! ああ、いえ」、とっさのことでなんと応えていいか解らずあいまいに返事をした。
ぼくはタイガーズのファンでもなんでもなく、たぶんその本は、タイガーズはもちろんだが、タイガーズの活動背景にある60年後半ころの時代の社会性みたいなところを書いているのだろうと読み興味を持った。
タイガーズと云えば60年の終わりころGSブームの寵児。ぼくらの世代、特に女の子が熱中したアイドル的存在。ぼくはそのころ高校三年。町ではタイガーズやテンプターズの音が流れていました。その頃ぼくの友人のピンキーとキラーズに熱中していたKがいました。ぼくはその両方にもまったく興味はなく、そのころ音楽にアート性と精神性に方向を変えていたビートルズにのめり込んでいました。ぼくはKに「お前はものごとに流せるな、もっと自分の精神的なところの価値を持たないけんばい」と、生意気なことを云っていたことを思い出します。K君、今になりますが生意気なこと云ってごめんなさい。
ビートルズはリボルバーにはじまり、サージェントペパーズ、アビーロード、ホワイトアルバムを深夜に何度もレコードを回し聴いていました。ビートルズの着ていたファッションにも感化されたりしたものです。そしてアートでは、アンデイ・ウオーホールやジャスパー・ジョーンズ、リキテンシュタインなどが表現するポップアートにものめり込んでいました。美術クラブの同窓生に「ポップアートはこれからの時代の最先端を行くアートになるばい」とふれまわった。「何や、それは、ポップなんとか。お前の云うことはようわからん」。同窓生からはまったく相手にされない。それでも時代の空気をからだじゅういっぱいに吸い込んで、ひとりそれらのアートに浸りこんでいました。
そのころの世相はベトナム戦争最終激化と国際反戦モード、ヒッピームーブメント、国内は翌年開催される翌年開催される科学技術、生活文化、産業、芸術何でもありの未来の発展を仮想演出する国家イベント大阪万博が控えていました。ぼくはそんなことにもあまり興味はなく、日々ただただ内面を沸々と発酵させ、これから沸騰するであろう新しいアートに黙々浸る17才でした。
「ザ・タイガーズ 世界はボクらを待っていた」の本は、そんな時代に逆回転させてくれました。