気になる展覧会があり思い立って昼から急ぎ山口の美術館へ行く。ドイツの美術館がコレクションしている日本画と浮世絵を見る。中でも、今まで原画を見たことがなかった俵屋宗達と尾形光琳の絵だ。美術書では何度も見るのだが、目の前でじかにはじめてみた。俵屋宗達と尾形光琳は画家というよりは工芸家に近いと思う。江戸時代の作家だが、シンプルに表現された世界は超モダンである。華や水の流れをデザイン化しているのだから、当時職人がつくる調度品にもモダンなかたちのものを見ることができるけど、きっと江戸時代でも今で言う、デザイン感覚が大衆の中で求められていたのだと思う。ましてや、ヨーロッパ人がこぞって根こそぎそれらを収集して自分の国へ持っていくのだから、ヨーロッパ人の目には超モダンに見えたに違いない。日本の粋がよその国で評価される大衆美術。日本ではデザインは自分の国のデザイン文化を評価しきれない貧しさがある。国のデザインに対する次元の低さがある。せいぜい広告の宣伝ビラくらいにしか扱われない。それはそれでB級文化でいいのだけれど。
8月の後半から天気がぐずついている。暑さはやわらぎ過ごしやすいから助かる。しかし後ひとつシャキッとしない。ついこの前、夏がはじまったと思ったら、もう8月も終り。秋の季節になる。記録をチェックしていると、3月から8月までの半年間が異常に短く感じる。今年の後半は入ってしまっているから残すところ4ヶ月。しっかり毎日を確認して生活した感じがしない。この半年、歯の治療と血圧で病院に通院したことは体が憶えているから、唯一、健康に気を使っていたような半年だったような気がする。無常。
雨の中を年配の女性の方たちが仕事場に訪ねてみえる。小倉と八幡からの方で全国ネットの刺繍クラブのグループだと言う。僕の絵をあるところでご覧になられたらしく、絵を刺繍の参考にしたいとのことだった。几帳面にごあいさつを兼ねて趣旨を説明された。著作権のことだけ了解してもらい了解する。熱心な方たちで、話しが盛り上がる。あるお一方が作家・佐木隆三さんの高校時代の同級生とのことで、逸話をおもしろおかしくお話されて、僕は新鮮な気分で聞く。その女性は話題が豊富だ。意外なことで意外な交流が芽生える。女性は行動的だ。きっと、この方たちが根っ子で北九州の文化を育まれているのだろう。
このところ本を読んでいない。あまりにも繁雑な毎日だったので余裕がなかった。ちょつと一息つくつもりで、司馬遼太郎さんを特集している「司馬遼太郎の世紀」を読む。僕は松本清張さんと司馬遼太郎さんが好きだ。好きだといっても、惚れているとかの意味ではなく、おふたりの物事を見る目、洞察する目が好きなのだ。司馬さんの物を見る目はあらゆる角度から対象物をくまなく捉えて、本質をイメージに昇華させて表現される。すごく立体的に小説を読めるのでおもしろい。歴史ものなどはリアルに時代を覗くことができるような切口で見せるから、読んでいる自分がいつの間にかその世界に入り込んでしまう。時代や登場人物がすぐ側にディテールをもって伝わってくる。