永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

夏終いと事風。

2011-08-29 09:29:32 | 日記・エッセイ・コラム
早いですね、もう八月も終ろうとしています。日中はまだまだ暑いけど、空気感は秋を感じるようになりました。
世相は相変わらずですが、夏のイベントもそろそろお終いと云った感ありです。
秋の展覧会に出品する作品づくりにそろそろ入らなければと思うのですが、なかなかモードが切り替わりません。そもそも気がすすまないのは、主催者のテーマに基づいて作品をつくらなければならなくなったことです。日頃は広告とかの仕事でテーマを与えられてデザインをするのは当り前のことで慣れているはずなのですが、いざ、展覧会のための作品づくりになると第三者からテーマを与えられるとあまり創作意欲が湧きません。
そもそも創作行為というのは、自分自身のいまっていうことがテーマになるんであって、自分と周囲の中にそれを気がつくか気がつかないかによって新しい表現ができる気がします。
自分のものの見方が絵になって、ある人がその絵を見て、ああ、そういう見方もあるなと、絵空事ではなく、絵空事風に思ってくれた時が創の作快感になったりします。



いつか見た風景?夕暮れの町、門司港。

2011-08-27 13:33:07 | アート・文化
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絵本『小さな町はたから箱』より。〈C〉著作権者:永野宏三・ひろみプロ



いつも見ている風景の中でなんでもないことだけど、いつも気になる風景が何時の間にか目の前から無くなっていることがあります。
うん、ここんところアンテナがピカッと光っていないのかな、急いでスケッチしとかなきゃ。そのうち気になる風景が無くなってしまうぞ。



街の記憶。

2011-08-22 10:26:04 | 日記・エッセイ・コラム
『シャンハイ』を観ました。渡辺謙さんが主役より目立っていました。これが俺の演技だといわんばかりに、ほとんど大佐の役柄になりきっていました。ストイックに自分を表現するのも謙さんらしいです。
それにしても上海の街をセットで組んでいるのには驚きました。現実の上海では撮影していなくて、全てセットだそうです。これはさすがハリウッドです。
今の上海は高層ビルだらけですから、上海事変当時の街並みは撮影できないのは当然でしょうか。
今から15年前に上海を訪ねたことがありますが、当時の街並はまだ高層ビルはちらほらで、かなり古い洋館が下町にありました。大通りから横道に入ると
映画にも出てきたような、ちょっと恐そうな雰囲気を漂わせているところがありました。
旅連れと呑みいこうということになって、街を歩いていたら若い男女ふたり、それも当時中国の人達には今みたいに西洋的な服装ではなく人民服を来ていた人が結構多い中で、現代的でカジュアルな服装をしていて、僕たちに日本語で話しかけてきました。貿易の仕事をしているそうで、面白半分に一緒に呑みませんかと誘ったら、二人が仕事を終えての時間約束場所を約束したらほんとうにやってきたのには驚きました。上海は伝統的に国際都市で開放的な土地柄なんですね。発展途上の当時の中国でしたが、上海の夜の街には結構灯りがありました。因みに北京の街は夜になると灯りが少なく街全体が暗い感じで心細くなりました。今では考えられません。
ある時街の中心部からホテルに帰った時、街で拾ったタクシーの運転手にぼくたちが日本人と見てか料金をボラれたのには頭が来ました。抗議しても惚けのらりくらり。後でホテルのカウンターの人にやられたといったら、『気をつけてください』。外資系のホテルでしたが、その一言のアドバイスに納得。



炭酸水。いつか見た風景。

2011-08-20 09:33:33 | アート・文化
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ラムネ。〈C〉著作権:永野宏三・ひろみプロ


子どものころ、自分の回りにあるもの何にでもに宇宙感を持ちました。今でも興味のあるものを蒐集して、物のかたち成り立ちを手にしていろいろ空想する癖があるので、そのことはそんなに変わってはいないとおもいます。
ラムネ。いま市販されているラムネ瓶はプスチック製のものになっていて、昔のガラスでできたものとは違いあまり愛着感を持つことができません。
ガラスでできた瓶の中のラムネ玉はラムネを呑む時にはちょっとしたテクニックが要って、瓶に口をつけて上に持っていくとラムネ玉で塞がってしまい、一気飲みができません。そこは舌でちょいとラムネ玉を押し上げ、瓶の淵の隙間からラムネを飲むのにある種の宇宙感を持ったものです。
今ではいろんな清涼水がありますが、単純に炭酸と砂糖を混ぜたラムネがやはりぼくの清涼水です。



この季節になると思うこと。

2011-08-16 09:05:19 | 日記・エッセイ・コラム
終戦記念日で戦時下に亡くなられた方の慰霊式報道や戦争体験者の語りが新聞TVでことしもありましたが、戦争体験者の方たちは高齢となり声がだんだんと少なくなってきているような気がします。
ぼくの中学・高校生時代の教師には特攻隊の生き残りや抑留経験の体験者も多く、授業の合間に悲惨な時代の体験をよく語っていました。今思うとその時の先生たちは45歳から50歳くらいの年齢であり、当時15歳から18歳のぼくらからすると、その先生たちの話しの内容はリアルなものがあったわけです。
ぼくの母の戦時下体験の話しには、空襲の語りにはリアルに燃え上がる炎の色をカラーでイメージしたものです。逃げる道の様子など時間軸まで想像できました。
夏お盆の時期になると大戦を振り返り報道がなされますが、今も地球上のどこかで局地的な争いがあっているわけで、ぼくらの時代は平穏に毎日を送っていますが、何時どこで不穏なことが起きてもおかしくないことを、先輩の体験話しから汲み取らなければならないと思います。