このところ気ぜわしい日が続いていて10日ほど本を読んでいない。活字を読まないからストレスが溜まっている。落ち着かない気持ちを停止させてトイレに本を持込んで読む。トイレは自分にとっていちばん自然な場所。別に用をすませるわけではない。ひとりになれる場所。便器に腰かけて文庫本を読む。「三島由紀夫対談集・源泉の感情」を広げる。対談集だから生の声を活字に変換しているので、言葉が生で伝わってくるからおもしろい。ディベートのやりとりもおもしろい。三島らしく伝統・エロチシズム・美・歌舞伎・憲法等々、テーマが幅広く言葉を活字でたのしめる。まさしく本のタイトル通り物事の源泉に迫り対話する人と人の感情のキャッチボールだ。
ふとんの中で熟睡していると、僕の顔をツンツン触るやつがいる。何やらとがったテグスのようなものでつつく。猫の頬の毛だ。ボャーッと目を覚ますと、猫のブーがふとんの中に入れろという催促。猫も寒いのだろう。入ったとたんにグルグル咽を鳴らしはじめる。朝になると、暑いのかゴソゴソ出ていった。猫というものは自分に勝手に生きている。
仕事をしていたら、頭の中に僕が飼っていた猫で亡くなったタラのイメージがふっとうかんだ。
忙しさのあまりこの何日かタラのことを頭の中にイメージしていなかったのだが、カレンダーメモをチェックするとタラがなくなって、ちょうど今日で一ヶ月だった。黙とう。
忙しさのあまりこの何日かタラのことを頭の中にイメージしていなかったのだが、カレンダーメモをチェックするとタラがなくなって、ちょうど今日で一ヶ月だった。黙とう。
ある方から電話をいただく。声の質からその方の歳は僕とそんなに変らないような気がする。用件を伝えるために電話をされたらしいのだが、最初の挨拶がない。用件をものの何秒かで言われる。こちらは聞かれるからその旨判断して答える。用件が終るとその方は「ごめんなさいね」で締める。営業の電話ではない。しかし、コミュニケーションがあまりにも単純すぎる。全体の会話はほんの数秒だった。こんな電話の会話もあるのだ。僕はその方の個性を電話であまり感じることができなかった。その方のイメージを描くことができなかった。
おそろしく12時間眠る。朝、寒さで目がさめる。かなり冷え込んでいる。ぼーっとした頭で顔を洗うと、顔を上げた向こうの隣の木に止まっているモズが僕の顔をじーっと見ていた。日頃はけたたましい声をあげるのだが、どうしたことだろう。視線を合わせると声をあげて飛んで行った。仕事をする前に歯医者と内科の病院へ行く。今日は大丈夫。「風邪はひていませんか。来月は健康審査ですよ」。月が巡る。