永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

日曜日。春を思わせる陽気。

2010-02-28 19:23:34 | 日記・エッセイ・コラム
休日、一日田川で仕事。パソコンは使えないから打ち合わせしながらの同時デザイン進行。指定原稿でのデザイン作業渡し。ストレスがかなりあり。夕方の電車で帰る。帰りの車中からの沿線光景の梅と桃の花の満開に和む。暖かいせいか、線路沿いの畑で作業する人多し。車中にフィリピン人と思われる、ふたりの若い女性。ふたりともエキゾチックでかなりの美人。たぶんタガログ語だろう、くったくない大声での会話。微笑ましく、あっけらかんとしたふたりの表情。その大声に、回りの乗客は、皆怪訝そうな表情。ふたつの対比がおもしろい。2月は今日で終り。今日は一日暖かく、春をしっかりと感じる。でも、今から、まだまだ天気の変動があると思われる。春の彼岸を迎えるまでは気が抜けない。からだが教えてくれる。


春の嵐の気配。

2010-02-26 19:47:52 | 日記・エッセイ・コラム
朝七時頃、「ホー、ホケキョ」ウグイスの鳴き声で目が醒める。頭がボワーッとしていて意識がウクイズの声という認識に時間がかかる。猫が掛け布団の足元でゴゾゴソしているから、猫の行動に気にかかる。でも、「ホー、ホケキョ」とウグイスの鳴き声を確かに意識できる。えっ!こんな時期にウグイスが戸の山から降りてきたのかと驚く。でも、庭の梅の木の花が満開だから、ウグイスが梅の花の匂いに連られて来たのだろうか。今年は春の訪れが早いような気がする。朝からシトシトと降る。春雨だろうか、柔らかい雨が、けだるい春の気配を教えてくれる。


十戒。

2010-02-25 18:56:42 | 日記・エッセイ・コラム
国策によるエコ推進事業。ハイブリッドが思わぬトラブルを起しているが、経済戦争の再来なのだろうか。高度なコンピュータ制御技術を知りたいから日本叩きをしていのか穿った考えで想像をしてみる。でも、ある国では車のブレーキが効かず、乗っていた家族が事故死しているから現実は深刻。アメリカの車社会への営業拡大と日本の高速道路網のネット化による車増生産が思わぬ日米トラブルに繋がってしまった。衛星放送で懐かしい映画『十戒』を観た。行き過ぎる行動をすると神が戒めを与える。くわばら、くわばら。歴史は懲りない。西欧社会が世界を牛耳るのか。チャールストン・ヘストンとユル・ブリンナーの懐かしい演技とCGとは違うフィルム上で作成された合成画像が、妙にリアルで生々しい。


海峡沿いの道程とウエイト数値。

2010-02-21 15:18:54 | 日記・エッセイ・コラム
朝10時スタートでウォーキング。きょうは本格的に門司港の和布刈までをコースとする。二年ぶりだ。リュックにバナナとリンゴを各々1個、水筒を詰めて徒歩開始。自宅から門司駅を抜け海峡沿いに門司港を目指す。天気は最高にいいが、まだ風は冷たい。関門の海は波がある。製糖会社前を通過して広石あたりに来ると、ニッカ工場前の通り花壇が造られていて、開放的な雰囲気に和む。こり通りあった古い工場が壊されていたりとすっかり風景が変化している。時代の流れ。鉄道の引込線も撤去されている。昭和の門司の成長期の面影は一切なくなり、表情が激変している。倉庫街はあまり変わっていない。海岸に昨年、自衛艦の船と衝突した韓国船が停泊していた。船員が暇なのか、デッキから釣り竿の糸を垂れている。その隣にカンボジアの船が停泊していた。船員に声をかけたが、言葉が通じない。船員が手を振って笑顔で応える。海岸の釣り人がかなりあり。西海岸に抜けると海峡ドラマシップ前の旧大連行の待合所が化粧直し中。新しい観光名所をつくるのか。あまり興味なし。1時間程で関門渡船に着く。さらに和布刈に向けて歩く40分ほどで到着。関門橋の袂でバナナとお茶を食する。休憩の後、門司港駅に向って歩く。駅のバス程で万歩計を見ると1万7千歩がきょうの成果。満足感を得る。家に着いて体重計に変化あり。嬉しくなる。


あるオペラ歌手の残像と光と風。

2010-02-20 18:57:55 | 日記・エッセイ・コラム
いい天気になり、陽気につられて午後から散歩をする。小森江から寺内を回り、寺内の小高い山の上にある。オペラ歌手・藤原義江さんの父親であるリードさんの門司の別荘跡まで久しぶりに足を伸ばす。ここは何度来ても門司らしい光景を眺望できる。別荘跡の今はマンションが建っていて、それらしい根拠はない。跡地に立って関門海峡を見下ろすと、眼下には真直ぐ門司駅の方に道が伸びて、大里本町の町が遠くに見える。大里本町の海岸と対岸の下関は江戸時代から明治時代初期までは船が連絡していたそうだから、義江さんの父親リードさんは自宅のあった下関から、この路を伝って寺内の別荘まで来ていたのだろう。リードさんは義江さんとは接触を避けていたそうだが、少年のころの義江さんは父親を慕って、時々この別荘を訪ねていたそうだ。視界には遠く小倉や八幡・玄界灘沖までを見通せる。時代が変わっても地形は、海峡の海岸の埋め立て以外は極端には変化していない。海峡の海面を照らす午後の陽射しと海峡からの風はひとつも変わっていないはずだ。