三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

寺院の号(徒然草第百十六段)

2023-09-12 04:54:44 | 日記
深夜に目が覚め,なかなか眠れなくなった。眠ろうと力むとますます目がさえてくる。
――こんなときは焦らず読書でもして過ごしたほうがいい。これはわたしが会得した不眠対処法。

さて,書棚を眺めていたら1冊の文庫本が目に留まった。「徒然草」,ご存知兼好作の随筆集。

高専で教科書として使ったものだ。
いい加減なところを開いた。すると,そこは第百十六段と百十七段。

第百十六段には‥‥

 寺院の号,さらぬ万の物にも,名を付くる事,昔の人は,少しも求めず,ただ,
ありのままに,やすく付けけるなり。この此は,深く案じ,才覚をあらはさんとし
たるやうに聞ゆる,いとむつかし。人の名も,目慣れぬ文字を付かんとする,益な
き事なり。
 何事も,珍しき事を求め,異説を好むは,浅才の人の必ずある事なりとぞ。

とある。
この本には現代語訳がついていない。そこで,注を参考にしてわたしなりに解釈してみた。

 山号・寺号・院号,そのほかのいろいろな物に名前を付けるとき,昔の人は思案を凝らさず,ただ
ありのままに平易に名付けた。(ところが,)この頃は深く考えを巡らし,才覚を目立つように示そうとし
ているように思え,嫌みなものだ。人の名前にも見慣れない文字を使おうとするが,いいこと
はない。
 何事も珍奇なことを無理に探し出し,通説と違う見解を知りたがるのは深い教養のない人が必ずやることであるという。

まさに現代にも通ずる一文。
第百十七段も面白いのだが,これについてはいずれ取り上げることがあるかも?
以上

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