甲州街道10月10日(土)

2009-10-11 17:59:57 | 甲州街道
JR中央本線笹子駅-黒野田宿-笹子峠-駒飼宿-甲斐大和駅と笹子峠越えを歩いた。


黒野田宿の落ち着いた風景、上下の写真は同じ家、思わず立ち止まってしまう
風情だった。



笹子川、水がきれい。

山からの流れ、いくつも流れがあってその水が集まって行く。

峠の入口へと近づく。

いいなーとほっとする風景。


苦手なハイキングコースの道になった、今回は前後に十数人の人達がいるので
ほっとする。写っているのは一番先頭のご夫婦、この後、これでいいのかという
感じのぬかるんで歩いた跡のわからない道になった。付いていこうとしたら、
突然立ち止まって、お茶を飲んで休み始めたので、あせった。「道がわかりにく
いですね」と言ったら、「そうですね、歩きにくいですね、しかしこれしか道ら
しいのはないから、ここを行きます」と言う返事だったので、いやいや先頭に
なってしまった。写真のような道なら、昔の街道はこうだったのだろうと思える
が、今は宿場の人達が労役で維持管理しているわけではないから、台風の後で踏
みしめた跡が消えた巾1mの道らしきものになっていた。

川沿いなので、地図(新田沢)とチェックして多分あっているだろうと思った。

無事に道路に出て、「矢立の杉」の標識もあった。

その後の道、街道的な道。ゆっくり休憩して、先頭になるのをさけた、今度の
先頭は女性の3人連れ、みんなハイキングに慣れている様子。

碓氷峠の時と違って、ちゃんと橋が維持管理されていた。

矢立の杉に到着、車道からも来れるようになっているので、何人かの人達がいた。
戦の前に、この街道を通った弓矢時代の武士達が、戦勝祈願のために、この杉に
矢を射て、山の神に祈ったと言われている。よく見ると矢傷らしきものがあった。

樹齢1000年とも言われている。高さは十数mぐらいだろう。

しかし、よく見ると中が空洞らしい、説明板には中から上を撮った写真があって、
煙突状になっていた。いつまでも元気で居て欲しいと思う。


ここで笹子駅でシャッターを押すのを頼まれた5,6人組の方々が追いついてきた、
またシャッターを頼まれた、ぼくも頼んだ。雑談中にしばらく連れて行ってもら
うことになった。
よく知っている方もいて、わかりにくいハイキングコースを笹子隧道へ向かった、
ぼくだけだったら多分、車道を歩いたと思う。

途中に何本かあった実、葉から推測して、碓氷峠で花が咲いていて、撮ったのと
同じと思う。赤くなっているものも遠くにあった。

笹子隧道に到着、向こうが見える。ここは山越えをする。
一緒に歩いていた方々はここで昼食とのこと、「峠には昼食できる場所はないよ」
とのことなので、ぼくもいつものように簡単な昼食を食べて、お礼を言って、先に
出発。あまりいい道ではなかったがすぐに向こう側にでた。

峠、道の途中と言う感じで、景色は開けていない。

向こう側の出口付近の神様の石像(多分、道祖神)、神々しい雰囲気だった。

反対側の入口、こちら側には装飾がない。


峠からは平坦な下り道だった、かなり長い道のり。
途中にあった伐採跡?、この後、どういう風に処理されていくのか心配、かなり
の間、放りっぱなしになっている様子だった。

こういう景色、峠越えの後はいつもこういう景色だったような気がする。

道端の「あけび」、何箇所もなっていた、これが一番きれいに撮れた。
取って食べることは出来ない高さで残念。40年ぐらい前、工場勤務だった時に
道端のあけびを毎年楽しみに味わったのを思い出す。


やっと駒飼宿に着いた。宿の家、6枚の写真。



この家は新築だけれど雰囲気が昔の家風で気に入った。よそ者の勝手な印象かも
しれないが、街道沿いには○○ハウスよりもこういう家が増えてほしい。

雰囲気は悪くないが、なんとなく変わっているなーという家。

裕福そうな家。



庭先農園みたいなところのりんご畑。

いかにも旧街道沿いと言った雰囲気、白い柱は旧甲州街道の標識。


鶴瀬宿の入口あたりを通って、甲斐大和駅に向かった。
大和橋からの日川とそこにそそぎこむ笹子沢川(小さいほうの川)、いい景色
だった。

甲斐大和駅では、途中で出会ったほとんどの人達とまた出会った。
列車を待っていたら、雷が鳴り、夕立が来そうな気配で、実際、乗ってから2,3駅
は雷と雨だった。ぬれなくて済んでよかった。

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