甲州街道10月14日(水)

2009-10-16 14:23:03 | 甲州街道
JR中央本線甲斐大和駅-鶴瀬宿-勝沼宿-栗原宿-石和宿-酒折駅と歩いた。
朝の内はジャンパーを着ていないと寒いぐらいだった、紅葉はまだだったが。


前回にも載せた、日川と笹子沢川の合流点、いつみても流れがきれいで感激する。


鶴瀬宿近くの石屋さん、この赤っぽい石が特産品なんだろうか、こんだけ並んで
いると目に付く。

鶴瀬宿には、本陣等の跡の説明柱があるのみで、とくに目立ったものはなかった。
通り過ぎた辺りの道端のりんご畑、おいしそうだった。


これはぶどう畑、この後いやというほど現れる。向こうは中央道。


勝沼宿へ行く途中、長柿という集落あたりにあった長垣橋、昭和37年竣工と書い
てあったが今は通行止めになって久しい様子の板敷きの歩行者用の吊橋。
渡れたらいいのになーと思った。

下から見たところ、ここから川までもずいぶんな深さがあるあるので、吊橋から
見たら目がくらむだろうなと思った。

もう少し下にある橋から、絵になる風景だった。

普段は汚い水の川しか見ないので、川底が透き通ってみえると感激してしまう。

これが集落の風景、いかにも街道沿いの感じ。


勝沼に近づくと立派な家が多くなる、ここからは、もう勘弁して欲しいというぐ
らい、ぶどう狩り屋さんが延々と続く。

勝沼本陣跡、「槍掛けの松」の表示柱がたっていた。立派な松だったが樹齢等は
書いてなかった。

勝沼宿の街並、ここから6枚の写真、落ち着いた宿だった。





この家は新築、大金持ち風だが風景にはとけこんでいると思った。

旧田中銀行の建物(文化財らしい)の隣の家、表札はなかったが気になった。

その裏の蔵、大きいがいつまで持つか心配、残してほしい。


勝沼宿を出た辺りの豪邸。


この辺りの道祖神はこういう独特な形をしている。そういえば、笹子駅から後、
二十三夜の石柱、庚申塚etcを見かけなくなった。峠の前後で風習の違いがある
のだろうか。


これも豪邸。


街道沿いによくある風景、祠と道祖神、ここも丸い石でつくられている。
今までは石に神様、男女の姿や文字を彫ったものが多かった。


いつものようにお宮さんで昼食。


なんとなく撮りたくなった家。栗原宿の辺りか。

いかにも街道沿いの祠という感じがする。

その境内の道祖神。

栗原宿の大宮五所大神(神社)、このクロ松は立派だった。

この境内にも道祖神があった。


これも豪邸。もうすぐ笛吹川だ。

日川の堤防下の家、庭がブドウ畑になっている。こういう形式の家はぶどう狩り
屋さんには多いが、ここは上から見れて面白い。

日川を渡る、上流方向(うえの写真)と下流方向(下の写真)、山また山に囲ま
れた盆地である。水はきれいだが川にごみが目に付くようになった。
今日歩いた所は、盆地だからか、水が豊富できれい、溝でさえそうだった。



障子と雨戸だけの家、だいたいの古い家はガラス戸を追加しているので、もとの
形のまま残っているのは珍しい。住むのには不便だろうなー。

この道祖神はいままでのとまた少し違っていて、男性性器を表しているように
見える。そういえば中山道にも似たようなのがあった。

この辺りは日川の堤防沿いで笛吹川、重川もすぐそこだ。多分、何度も氾濫した
川床と思う、桃畑が続いていた。
桃畑で農作業していた、同じ年頃の方が「調べ物をしているんですか」と声を
掛けてくれた、立ち話で次のことがわかった。
1、今歩いている道が旧甲州街道で鉄道馬車が石和まで通っていた。さっきの
道祖神の所の細い道も旧甲州街道で主に駕籠が通っていた。
2、昔は川がしょっちゅう氾濫して、そのたびに畑も家も、お上の土地
の割り当てから始まって、復旧は大変だったらしい。
3、勝沼から石和までの間、果物の中心が、ぶどう→桃→柿と移る。
4、一宮の桃は天下一品だ。
そういえば、阪神間では桃と言えば岡山だけど、東京のスーパーでは山梨だった
なーと思い出す。

その辺りの古い家。ほとんどが新しい家だったので目だっていた。


笛吹川の南側の堤防。

笛吹橋から上流方向を。

北側の堤防の松並木、見ごたえがあった。
この辺りから、石和の温泉街が始まる。戦後、発見された温泉なので、ビル形式
の宿屋が多そうだった。

石和宿の入口にあった道祖神。

郵便局の看板があった、多分、奥の建物がそうなのだろうが、蔵の入口にも
少し古めの郵便局の看板があった。確かめようと思ったが、どういう訳かしま
っているようだった。

お味噌屋さん、製造している。

豪邸。

これも豪邸。

さっきの人が言っていた通り柿畑だ。

またまたこの様式の道祖神。

この辺りには、とびとびに豪邸がある。

石和宿のお宮さんの道祖神。

石和宿の中心は近代的な街並になっていて、説明板はあっても宿場を思わせる
物はない。


宿を過ぎた辺りの古い家、由緒ありげだった。

同じ辺りの豪邸。

同じ辺りの古い家。


酒折駅のある酒折の町は、山梨学院大学の城下町の感じがする。
この中心建物以外にも、幼稚園から大学までの施設がそこら中にある。
立派な教育施設だ。
酒折駅では、小学生とそのお母さん達、中高生達、大学生達とたくさんの人達が
列車を待っていた、小学生達はみんな賢そうに見えた。

酒折宮、「やまとたけるのみこと」が東征の帰途立ち寄って、連歌のような
催しをしたと言われており、連歌発祥の地とされているとのこと。

この後、酒折駅から、帰った。

すっかり、秋になった感じがした。

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