
◇ 桃 ◇
食べないで
しばらく
ながめていよう
すこしは
やさしいこころに
なれるかもしれない
-星野富弘さん-
部屋中に漂う甘い香りに包まれて、触れてはいけない柔肌は、眺めるだけの桃色吐息。そっと唇触れる日は、今日か明日か永遠(とわ)の日か。ながめているだけでやさしいこころになれるなら、いつもそばに置いておきたいこの香り。
その昔、優しさを絵に描いたような友がいた。家を持たない人がいると、食べ物屋に勤める友は、残ったご飯でおにぎりをつくり、彼らに食べさせた。通勤駅で電車に飛び込んだ人を見たといって、次の朝、線路に花を手向ける。息子を尋ねて田舎から来たお年寄りが、息子の居場所がわからず、酔った足どりで駅のホームをよろめき歩くのを見て、危ないからと家に連れて帰り、一晩泊めて、息子の居所を探し当て、いたく感謝されたこともある。他にも数え上げたらきりがない。
独りよがりで生きてきた僕に、人の優しさを教えてくれたのは、友がこの世を去ったとき。そんな優しさに慣れていた僕は、友がいなくなってはじめてその桁外れな優しさに気が付いた。
優しさという文字から人を除くと、憂いになる。いつまでたっても、優しさを教えてくれた友のように、優しくなれない僕は、今日も甘い香りの桃をながめながら、自分の中にやさしいこころを探してる。明日はこの桃を食べてみようか、少しはやさしくなれるかもしれないから。
あなたのそばにいる人に、優しい心で接してみませんか。いなくなると憂いになるから。