U建設に勤めるD君が遊びに来た。仕事の帰りだという。
浦霞の米焼酎持参だ。
D君とは自宅のリフォームを頼んで以来の付き合いである。
彼は日焼けした顔で焼酎を飲りながら喋り続けた。以下はD君の話である。
ここ数年、不況で仕事が少なかったが、震災後急に忙しくなった。
今の仕事は沿岸部の瓦礫の撤去と損壊した家屋の修繕だ。
仙台市内も折立、緑ケ丘、泉、旭ケ丘あたりの被害がひどいけど、工事は沿岸部優先で後回しにされてる。
今月は岩沼の海岸で瓦礫撤去をしている。
作業は陽が昇ってから暮れるまで。 土日も無休。
被災地では電気、水道が通ってないし、コンビニもやってないから、水をペットボトルに6リットルとおにぎりを持って行く。
水は飲用以外に、手を洗うのに使うんだ。
ウェットティッシュは必須だ。
トイレがないから簡易トイレも持参する。
なんぼ瓦礫の原だって、土の中に仏さまいるかもしれないから、その辺にはできない。
今日は水に浸かった家の修繕に出かけた。
門に「危険につき、立ち入り禁止」の札が張ってある。
中に入ろうとすると、警官が飛んできた。
「その家は壁に何か所もひびが入っている。余震が来たら危険だから入るな。
入るなら立ち会うから5分で出て来い」と言われた。
結局その家は修繕かなわず、解体することになった。
瓦礫の撤去は震災の1週間後から始めた。
その頃は壊れた家を片付けると、ほとんど仏さまがお出ましになった。
津波に流された家の多くは、中に人がいたんだ。
流されて行く家の映像見たら、中に人がいると想像してくれ。
テレビでは人が映ってるとこはみな修正されてるけどな。
テレビ局には画像修正を専門にしてる人がいるらしいよ。
人を入れたまま、家は浮き上がって、転がって、瓦礫になったんだ。
仏さまはたいてい泥にまみれている。
きれいなのは車の中にいた場合だけだ。
水の中は苦しかったんだべ。
泥は口の中まで入ってて、たいてい目開いてる。
仏さまを見つけると、「お願いします」と警察に電話する。
時間が経つと外見では性別も分からない。
警察は着衣と髪の長さで男か女か、推定してる。
どなたも水を吸って100kg以上はあるようだ。
身長はともかく、体重は生前とはずいぶん違ってるな。
警察と消防が来て、安置所にお連れするまで撤去作業は中断だ。
ユンボもゆっくりゆっくり操作する。
仏さまを傷つけたらまずいからな。
能率は上がらないけど、こればっかりは仕方ない。
ノルマは少しずつ遅れて、結局土日も休めなくなる。
震災の3日後、海岸の取引会社を見に行った。
その会社は津波の直撃で跡形もなくなっていた。
どこが道路かも分からず、会社があった場所も判別できなかった。
近くでは消防と警察が仏さまに手を合わせていた。
俺たちは2トントラックで行ったので、体育館まで運ぶのを手伝ってくれと頼まれた。
その頃の警察は、猫の手も犬の手も借りたい忙しさだった。
俺は、いいっすよ、と答えてトラックの荷台に仏さまを乗せた。
頭は前方に、足が後方になるようにした。
縦に3体を並べて、ブルーシート1枚で全体を覆った。
風でシートが飛んだら大変だから、俺が荷台の一番後ろに乗って押さえて行くことになった。
ところが道路には瓦礫があり、ところどころ凹凸になっていた。
段差に来たとき、仏さまが一斉に跳ね上がったのでおれは魂消た。
今でも運転してて段差があると、その光景が浮かぶ。
こういうのをフラッシュバックっていうのか?
警官に聞いたら、薬指だけ無い仏さまが珍しくないそうだ。
指どころか手首の無い場合もあるという。
指環とか時計を盗って行く奴がいるということだ。
家族を捜す振りして、自衛隊の脇で物色している奴もいるらしい。
盗品を売ってもなんぼにもならないだろうけどな。
瓦礫から金属だけ盗んで行くグループもいる。
鉄はキロ10円、銅は600円、アルミは100円が相場だ。
トラックに山盛りに積めば200万になる計算だ。
仙石線のレールを売ろうとして捕まった間抜けもいるそうだ。
レールを見たら誰だってJRの物だって分かる。
泥棒だって少しは頭使わないとだめだ。
俺は日本人が日本人の物を盗ってるとは思いたくない。
今の仕事は大変だけど、日本のため、郷土のためと、多少の誇りを持ってやってるからな。
最初の頃は津波が心配で、ラジオはつけっ放しだった。
でも最近は慣れて来て、ラジオは持って行かないし、津波警報でもいちいち避難しなくなった。
こういう時が危ないんだべな。
閖上とか岩沼は高い建物一つもないから、2mの波が来たら殉職だ。
まあ仕事中だったら、瓦礫見物に行って津波に遭った、というほどは恥ずかしくないけどな。
最近は暑くなってきたせいか、今までなかった臭いが立ちこめるようになった。
それはヘドロからも、田んぼからも、瓦礫からも湧いてくる。
そういう臭いはテレビでは伝わらない。
瓦礫も津波直後よりはずいぶん片付いたけど、4kmも先に海が見えると悲しくなる。
瓦礫だって何にもないよりはましだったかもな。
瓦礫も山の賑わいだ。
現場にはアスベストも飛んでるらしくて、会社から防塵マスクを支給された。
あれ着けると暑いし、息苦しいんだ。
でも着けないとおこられる。
海岸で作業すると顔と腕が異様に黒くなる。
海の紫外線は強いんだろうけど、それだけではない気がする。
放射能のせいかな。
3月15日の雨は放射能が高かったと、今頃聞いた。
俺たちはその頃びしょ濡れで仕事してた。
傘さしては仕事にならないもんな。
今何より心配なのは、社長が「原発の仕事を取って来る」と言ってることだ。
社長に「日本のためだ、行ってくれるか?」と言われたら、行きます、と言うしかない。
俺は子供一人だけど、原発に行くなら、その前にもう一人仕込んでおきたいな。
D君は5杯目の焼酎を飲み干すと、帰って行った。
浦霞の焼酎は珍しい。
浦霞の工場も被害を受け、そこの片付けに行った時にもらってきたものだそうだ。
震災から6ヶ月経ち、当初に比べたら被災地もずいぶんきれいになった。
それはD君のような人たちが懸命に働いているからだ。
日本人は戦争とか原発事故とかの危機管理は全く不得手だが、瓦礫の片付けは得意だ。
その勤勉さはおそらく瓦礫の最後の一個まで拾うだろう。
仙台市は人命救助、瓦礫撤去、遺体捜索を、仙台建設業協会と宮城県解体工事業協同組合に委託している。
それは必ずしもきれいな仕事ではないし、愉快なことでもない。
D君のように「国のため、郷土のため」と、誇りと使命感で取り組んでいる現場の人たちに心からエールを贈りたい。