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“京都鉄道博物館”の観覧

先週、大谷翔平氏の通訳・水原一平氏に不祥事があったとされることが明らかとなった。正に“好事魔多し” を地で行く話だ。これで飛んでもない被害が大谷氏に及ばないことを願うばかりだ。
それにしても信頼されていたはずの男がギャンブル依存症だったとは、これも飛んでもない話ではないか。元々、日ハムの通訳でそれで信頼して大谷氏が一緒に渡米し、ドジャーズも専属通訳として雇ったはずではないか。それがよりによって、ギャンブル依存症だったとは。
これで、米国での日本人に対する“信頼性”の低下が生じるのではないかとの懸念を抱いてしまう。米国や中国では“信用スコア”というのをはじき出して、人を信頼しようとしている、ということだ。“信用スコアとは、「個人の信用度」をAI分析によって数値化・可視化したもの”だという。ここで“ギャンブル依存症”と“オンナ好き”は真っ先に弾かれる要因だと聞く。
日本は社会全体が“信頼性”が低いとされ、今やビジネスでも欧米社会から弾き出される場合が多くなっているという。今回のこうした事件を通じて、ますますその傾向が強くなるのではあるまいか。“オンナ好き”は容易にハニー・トラップに引っかかるのだ。かつて日本の首相が中国のハニー・トラップに引っかかっていたという噂もある。
折から、今国会ではセキュリティー・クリアランス制度の創設を目論む法案が提出されている。これは安全保障上、重要な情報にアクセスする必要がある政府職員や民間人について、政府がその適格性を確認し、資格を与える制度だ。そういったことが民間でも徹底されることになるのではあるまいか。

日銀はマイナス金利政策を解除した。一部には政策金利切り上げは早すぎるという議論をする人もいるが、財政拡張主義者はそういうのだろう。だが、一方財政健全化を目指す人々にとっては、日銀の破綻が懸念されるとの必死の思いもあるのではなかろうか。どっちが正解なのか?まぁこのまま極端な円安は日本の物価上昇の要因でもあるので、避けて欲しいという側面もあるし・・・・・。住宅ローン金利がそうは急には上がらないというならいいんじゃない?

自民党が80人の議員の処分検討中だという。目くそが鼻くそを処分するというのか?それで党内が無事に治まるのか?見モノではある!いずれにせよ自民党政治家の“信用スコア”は最低であろう。何より嘘つきでは信用に値しないのでは?知らぬ存ぜぬも嘘!そんな政治家を我々は選んでいるのだ。しっかりしろ!日本国民ヨ!



さて、先週始めは仕事が午後から京都であった。それも最寄り駅が梅小路京都西駅である。そして、ここには京都鉄道博物館がある。昨年はその東隣の梅小路公園を散策したが、今年は本命のこの鉄道博物館を訪れることとした。
実は2014年に大阪の弁天町の交通科学博物館を訪れていたが、この博物館に展示されていた機関車等の車両のほとんどはこの梅小路に移転されている。いずれ移転してどうなったかを知りたいと思っていたが、今回その思いを果たそうとしたのだ。

神戸からJRで京都経由で梅小路京都西駅に来て下車。京都駅から山陰線に乗り換えるのだが、何と外国人の多いこと。それに混じって小学生の集団も居る。恐らく小学生は鉄道博物館だと想像がつくが、外国人は果たして何?何かの拍子で“嵐山”の文字が見えた。そうか“嵐山”か、とようやく納得。




博物館開館15分前。既に小学生の10人程度の集団がいる。子供連れの大人がほとんど。“入場に交通系カードが使えます” との説明があったので、PiTaPaカードを出したら怪訝な顔をされた。彼らにはICOCAだけが交通系カードなのだろうか。何だかJRの傲慢がここまで徹底しているのかと思うとおかしかった。

先ずは、“プロムナード”と称するゾーンに入る。ここは恐らくJRを代表する車両の展示ゾーンなのだろう。それにしても何故かつまらない。新幹線の最初の車両0系の団子鼻にはあまり興が湧かない。DD54ももう一つだ。ここで弁当を売っていた。牽引する食堂車で食べてくれ、との意図だ。




次に本館に入る。ここで国産初の蒸気機関車230形の展示がある。これは、逓信省鉄道作業局が汽車製造合資会社に発注し、国産で初めて量産化されたタンク式蒸気機関車で国の重要文化財(美術工芸品)に指定されている、との説明書きがあった。だがイギリスから輸入され新橋・横浜間を走った蒸機はJR西日本には保管されていなかったのであろう。
その脇には、ワットの蒸気機関の縮尺3/5の模型が展示され、その動きが分かるようになっていて興味深い。その下には、ジョージ・スチーブンソンのロコモーション号とロケット号の模型が展示されている。この内、ロケット号がその後の蒸気機関車の原型となった、とされている。
初期の蒸機1800形1801号機は、イギリスから輸入された勾配線区用の蒸気機関車だとのこと。
奥には、電気機関車EF52初号機が展示されていた。これは国産初の大型の直流電気機関車(日立製作所・製)で、本機は阪和線などで活躍したとある。確かに昭和30年代後半にも見たような気がする。電機はEF66も展示されている。これは1968(昭和43)年から量産機が製造された直流区間用電気機関車(東洋電機製造・川崎重工業・製)で、各地で現役のはずだ。
DD51形液体式ディーゼル機関車(日立製作所・製)も各地で現役のはずだと思う。同じディーゼルでも特急用客車キハ81形は紀勢線特急“くろしお”で使われた。東京ではディーゼル特急“はつかり”に使用されていた車両だ。使用当初は故障が多かったのではなかったか。その後、キハ82系が登場して安定した性能にもかかわらず、関西では何故“くろしお”で使われるのかと思ったものだ。




本館から出るとトワイライト・プラザに到る。これは寝台列車の展示なので“トワイライト”と称するのか。入り口でEF58とEF81が並んでいる。EF58は戦後を代表する客車牽引用の直流電気機関車。確か東海道線の特急“つばめ”の牽引がデビューだったと思う。当時は茶色の塗装が一般的だったが、中には“うぐいす色”に華やかに塗装された車体もあったようだが、私は残念ながら見たことがない。展示車両は、その後のブルー・トレイン仕様の塗装だ。EF81はトワイライト・エクスプレス仕様の塗装となっている。
EF65は平坦線区向け国鉄直流電気機関車の標準形式として、1979年までに国鉄電気機関車史上最多の308両が生産されたという。今も、一部現役ではないか。
オロネ24はブルートレインの客車でその内部の写真を示す。進行方向と並列の寝台なのでA寝台。B寝台は進行方向と直角で3段寝台だったと思う。
各機関車の製造はEF58が東芝、EF65が川崎車両、EF81が日立製作所と3大メーカ勢揃いか。だが、昔は東芝も車両を生産していたのだ、とは知らなかった。日立に対抗していたのか。




さらに進むと裏側から鉄筋コンクリート造りの扇形機関庫に入ることになる。扇形になっているのは、その先に機関車の方向転換のための円形の転車台(ターン・テーブル)が有るからだ。機関車はそれぞれここから出て既に編成されている列車にアクセスして、牽引して駅に向かうことになる。この梅小路蒸気機関車庫は現存する最古の鉄筋コンクリート造りの扇形機関庫として国の重要文化財の指定を2004年に受けたとの説明が掲示されている。大阪弁天町の交通科学博物館がこちらに移転したのは、京都梅小路にこの機関庫と使わなくなった車両基地の遊休地があったからだ。この遊休地の大半は、梅小路公園となった。
ここには実に様々な蒸機が展示されている。それも動態保存だ。機関庫に入ると、まずD51があった。その隣に9600形がある。これは国鉄の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸機である。つまり戦前の一般的機関車ということ。
外には、C11とC62,、C61が出ていた。C11は地方で戦後も多用された蒸機。C62はシロクニと呼ばれ、客車特急を牽引するために戦後開発された有名な車体だ。振り返ると北海道で開拓時代に活躍した“義経号”の7100形が機関庫に納まっていた。
C58形1号機が“お召列車”仕様で鎮座していたが、どういう経緯でこうなったのか、近くに説明掲示は見当たらなかった。運転台に入り込めたんで一応撮影しておいた。ネットで 説明文c5557.kiteki.jp/html/umekouziC51239.htmを探したら、“1919年(大正8)から1928年(昭和3)にかけて289両が製造された中型の旅客用機関車。当機は当時最大の1,750㎜動輪を採用し、1930年(昭和5)に運転を始めた超特急「つばめ」を牽引した”のであり、“また、お召列車の専用指定機として104回も使用された”とあった。
何かD51が動態試運転であろうか、外で動かされていた。機関庫の傍らにクラシックな蒸機が並んでいた。イギリス・ダブス社の1070形1080号機と戦時中に設計され戦後生産された構内入れ換え用の小型蒸気機関車B20形10号機であった。
蒸機の動態保存は良いことだが、やっぱり蒸機が動いていると煙が鬱陶しいことになる。そういう点で、環境にはよろしくないのだなぁと感じる。世の中は“脱炭素”の時代となっている。だからと言ってSLを追放するべきだと言うつもりもないのだが・・・。



SL第2検修庫脇のスロープを登って、本館2階へ。レストランに寄ってみたが、眺めの良い場所は既に占領状態。そこで3階のスカイテラスへ。だが、正午前後は列車の通過も少ないようで不作。向こうに東寺の五重塔が見えるばかり。
後は2階で展示物の観覧。近鉄の修学旅行列車あおぞら号の模型展示が珍しい。私鉄車両だがオール2階建て車両であるからだろう。
ジオラマがあったが、大阪交通博物館では見事なレイアウトだった記憶がありHOゲージだったように思うのだが、こちらはOゲージであろうかレール幅が広くなっているように感じた。そして子供たちが各電車を運転できるようになっていた。各車両にカメラが付いて模型からの眺めが分かるようになっている。それは良いのだが、あの緻密で雄大なジオラマが無くなっているのが残念だった。




後はプロムナードに戻って弁当を買って食べることにした。食べる場所の食堂車は既に満杯だった。注文した弁当は1050円の“炙り牛焼肉重”。買うときにどこで食べれば良いのか聞いたら、場所を教えてくれた。その中に近くのトワイライト・プラザに入る広場があったので、そこでは実際に未だ余裕があり何とかそこで食べた。だが、弁当の内容は少々残念なもので、ウェッブ・サイトに写っているものとは肉の量も異なり、冷たい。レストランに寄ってはいたが、美味そうではなかったのだ。鉄道博物館の“食”は貧しいのではないか。これでは一般の客も呼び寄せることはできない。




弁当昼食を終えて、もう少し本館を見回った。
時計をみると間もなく12時半となる。午後からの仕事は1時からだ。近所とは言え、10分以上はかかるので、博物館を離れることとした。
出口は旧二条駅舎だった。昔の駅舎を移築したものだった。




こうして見終わってみて感じたのは、何だか得られた情報があまり多くないような気がしたことだ。展示物にまつわる情報が乏しいのだ。説明掲示が全くと言っていいほど少ない。一々読むというのも面倒で、この場合音声ガイドがあっても良いのではないか、ということ。
蒸機の展示は豊富であり誇れるものであろう。だが蒸機の動態保存は今後どんどん難しいことになるのではないかと危惧するが、何とか続けて欲しいと感じている。“脱炭素”の時代だとは言え、それは単なるノスタルジーではないのではないかと思うのだ。人間文明の尊厳にかかわるような気もするのだ。
それから現状では“食”が貧しい、という感想だ。大勢のオトナを今以上に呼び寄せるには“食”の充実が不可欠ではなかろうか。
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