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京都文化博物館・特別展示“コスチュームジュエリー 美の変革者たち”の観覧と六角堂拝観

自民党安倍派の裏金事件が新たなフェーズに入ったとされる。岸田首相ら党執行部による安倍派4幹部への追加聴取にの森元首相が影響力を行使していた可能性が急浮上し、誰が“暴露”したのか今は闇の中。首相はこれに乗じてどこまで突っ込むのか話題になっている。やり過ぎると政権基盤がガタガタになる懸念もあるとのこと。
チャッチャとやるべきことをやって終わらせれば何の問題もないものをいつまでやってんだ!!!!腐ってるのに責任を取らない情けない自民幹部のアホアホ!“美しい国”の成れの果てがこの様なのだ!何が美しいのか?野党もしっかりしてェ~!

紅麹サプリで大騒動となっている。食品の着色添加物としても使っているので、サプライ・チェーンの広がりが底なし沼のよう。
何だか無責任なのがお気楽な株主の印象である。“管理体制がムチャクチャ”等適当なことを言っている。そんな問題なのだろうか。酷いのはTVニュースでは“経営陣総入れ替えダ!”というもの。入れ替えれば問題は解決するとでもいうのか?それこそアホアホ。投資家にも責任はあるはず。その覚悟が無いのに欲の皮が突っ張ってるから勝手な発言をするアホ。
ただ気懸りなのは日本の食品安全委員会が2014年にヨーロッパで“「紅麹で発酵させた米に由来するサプリメント」の摂取が原因と疑われる健康被害がヨーロッパで報告”されていると報じていたのに、それへの対応をしていたのか?ということ。放置していたのなら大問題なのだ。

ところでオイラも権力奪取に向けて動き出して外堀は埋めたが、そのあと思惑通り歯車が回るかどうか。下剋上は成るか、今は見モノとしている!



さて、先々週また午後から京都の四条烏丸でセミナーがあった。また例によってその午前に、近くと言っても地下鉄一駅(烏丸御池)の距離にある京都文化博物館で特別展示“コスチュームジュエリー 美の変革者たち” が開催されていたので見に行った。
例によって、阪急で烏丸まで出て文博に行こうとしたのだが、セミナーが始まるのが午後2時でやや遅い。文博観覧後、昼食とするよりも早めの昼食の方が、詰めかける客を避けられて合理的と判断して、近くの蕎麦店“三条尾張屋”に入った。お昼限定の“ざるセット”を注文。量的にも申し分なく満足した。



ところで、コスチューム・ジュエリーとは高価な宝石や貴金属を用いない宝飾品(ネックレスやブローチ、イヤリング)を言う。フランスのファッション・デザイナー、ポール・ポワレは20世紀初頭に女性をコルセットから解放したのであるが、このコスチューム・ジュエリーも女性の服飾に取り入れた先駆者であるとされている。このポール・ポアレに引き続き、1920年代にはシャネルがコスチューム・ジュエリーを手掛け、社会進出を果たした女性たちから絶大な支持を得、やがてアメリカで爆発的発展を遂げたという。これにディオールやスキャパレッリが続いたとされている。
案内書には次のように書かれていた。“本展は、コスチュームジュエリーにスポットをあてた世界的にもまれな展覧会です。研究家でコレクターでもある小瀧千佐子氏の貴重なコレクションより選りすぐった約450点の作品を通して、自由にデザインされたコスチュームジュエリーの世界をご紹介します。”
“世界的にもまれな展覧会”という言葉にひかれて、行って見たいと思った次第だ。後から調べて分かったのだが、どうやら昨年末、パナソニック汐留美術館で開催された同名の展示会の京都編のようだ。



実際に展示会に行って見ると、残念ながらほとんど写真撮影不可。わずかながらガブリエル・シャネルのデザインしたブローチが撮影可となっていた。
脇に次のようなコメントがあった。“ガブリエル・シャネル*は椿の花を深く愛し、ジュエリーのモチーフにとりいれました。本展覧会でご紹介する小瀧コレクションにも、椿をモチーフにしたさまざまなブローチがあります。椿の花の形、ガラスの表現の違いなどを楽しみながらご覧ください。”

*ココ・シャネルの本名



展示物の素材が何かについての表示が作品の脇の表示に示されておらず、会場では分からない状態であった。このシャネルのブローチは説明書きに“ガラス”とあったので、銀色の不透明なガラスもあるのだ、と分かった次第である。
展示された中で出色は、やはりポール・ポワレ 《夜会用マスク、ブレスレット「深海」》であろう。1919年制作で、素材は“メタリックチュールにガラスビーズとクリスタルガラスで刺繍”とある。(パンフレットの写真の右上にある)
後は、クリスチャン・ディオールの 《ネックレス、イヤリング》である。 1954年頃の制作で、素材は“ラインストーン、模造パール、メタル”とある。メタルの素材は不明(パンフレットの写真の右側に写りこんでいる)。
次いでと言っては語弊があるが、その他装飾品は撮影可となっていた。面白そうなのを撮影した。



まぁこんなところで、文博を出た。期待に比し得るところ少なし。こういうこともたまにはあるはなぁ。
で、ふと思いついたのが、親鸞が若い時に参籠した六角堂が近くだったことを思い出し、行って見ることにした。

京都のほぼ中心位置しビルの谷間の六角堂という風情。“六角堂の創建は縁起類では飛鳥時代とされているが、1974年(昭和49年)から翌年にかけて実施された発掘調査の結果、飛鳥時代の遺構は検出されず、実際の創建は10世紀後半頃と推定されている。”寺の呼称は正式には頂法寺。山号は紫雲山。本尊は如意輪観音。西国三十三所第18番札所。華道、池坊の発祥の地としても知られている。鎌倉時代初期の建仁元年(1201年)、延暦寺の堂僧であった29歳の範宴(のちの親鸞)が、この六角堂に百日間参籠し、95日目の暁の夢中に聖徳太子の四句の偈文を得て、浄土宗の宗祖とされる法然の専修念仏に帰依したとされる。
親鸞堂脇掲示の説明文には“(親鸞上人は)百日参籠.され、夢中に四旬の偈文を授かり浄土真宗の開祖となられた。ここには夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像」と六角堂参籠の姿と自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置する。”とあったが、内部の撮影は残念ながらピンボケ乱反射となってしまいここには載せられない。

拝観に訪れてそれで親鸞についての理解が進むというものではないのは明らか。それでも最近、親鸞に興味が向き始めているので、何かのイメージ・アップに繋がることを期待して後にした。

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