The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“プロ交渉人”
最近、取り分けて微妙な説得工作をする必要に迫られ、急遽 近所の本屋の新書で参考になりそうな本を読みたくなり、探し出したのが この本(“プロ交渉人―世界は交渉で動く”)です。
著者は 諸星 裕(もろほし・ゆたか)氏、ミネソタ州立大学で教鞭をとる傍ら、各種国際スポーツ大会の招致ロビイストなどを務めている 極めて珍しい職業の人が “この30年の間に体験した数々の国際的な交渉現場のほんの一部を書き綴ったもの”ということです。
したがって、かなり具体性の高いもので、具体的過ぎて 抽象度が低く、交渉に関する理論的なことは ほとんどというか 全く無く、したがって 応用性が乏しく、私の説得工作には 結局あまり役立ちそうにはありませんでした。
抽象度が 低いと “学”としては 成立し難く、“術”にしかならないと思っています。ISOマネジメントも 残念ながら抽象度が低く、今のところ“術”のレベルに終始しているのではないかと思っています。
閑話休題、こういう“交渉術”も おそらく具体的なノウ・ハウの塊であって、属人性の高いものだと言えるのでしょう。この本は その“術”のほんの一端を 示したものだと思われます。
ですが、“絶対に必要な条件”は“話の展開の明快さ、つまり、なにをどうしたいのかを、その都度明確にしておくこと”という指摘は 当たり前のことですが、やはり交渉というかコミュニケーションの基本のことのようです。
この著者は007にあこがれて、まずは外国語の習得をやったとのこと。祖父の代からどうやらかなりの事業家にして、余裕のある一家に育ったようで、夢は外国に向かって自然に育って行ったようです。この著者の 生来の資質や能力、また努力に幸運がサポートし、こういう職種に就けた という背景です。著者は 相手が興奮すると 自分は冷静になれるという人だとのことで、私などには 全く真似のできない資質で 正に交渉人が天性を発揮できる適職のようです。
少し気になったことですが、日本政府のODAに関して金の使い道がはっきりしない、という世論に対し、諸星氏は違った意見を持っています。ODAは“世界の貧困国家の人々の生活を少しでも改善するための人道的な援助である。”それを通じて 世界に影響力を行使するのが、目的であるから、相手国の為政者に影響力を残すことができれば良いのであって、そもそもキチンとした統治機構であれば援助の必要はあるまい。ODAというのは、本来は相手の権力者に “ご自由にお金をお使いください”ということが本質なのだ、という意見なのです。
これについては 少し前に読んだ 杉本信行氏の“草の根援助”というのとは 違い、諸星氏の考え方では一歩間違うと かなりダーティな世界に転落する甘い論理のような気がします。
著者は、当然 ウィン・ウィンのハッピー・エンドを交渉の目的としていますが、獲得する利益について 情勢に応じて 時々刻々変化していくことの事例として サッカー・ワールド・カップの日韓共催の交渉経過を 明かしています。これは かなり興味深いものがありました。
また諸星氏は日本のスポーツ界が、世界の動きの中で主導権を握れず、柔道ですら危うい状況になっていることに危惧しています。つまり スポーツ界といえども、世界では“パワー・ポリティックス、力関係に非常に左右される”のだが、日本側には長期的視野の戦略性が乏しく、“ルール改正、会長や理事の選挙といった案件”に まったく対応できていないと言っています。その結果が 平泳ぎの泳法規定の変更や ジャンプのスキー長さのルール改定 等々に 現れているのでしょう。
こういったことには、諸星氏は そういう組織運営に適した語学能力と交渉力、パワー・ポリテッィクスを理解できる人材の育成が急務であると言っています。オリンピックの商業化は 仕方ないというより当然の自然のなりゆきであり、それを是認した上で 対処すべきであるように言っています。
これは、日本にとっては 恐らくスポーツ界に限らないことかも知れません。日本人の戦略性の無さ、希薄な主体性によるところが大きいのだろうと思われます。
この本を読み終えた後の、私自身の 説得工作というか 交渉会見は この本とは あまり関係なく、結局のところ 気持ちに余裕を持ってゆっくりと、相手の話を聞きつつ、当方の言い分を 話すことができた、といったところです。今は 相手の 実際の出方待ちです。今後の相手の 出方で人物の大きさが分かると思っていますが・・・。
さて、残念ながら相手の人物が小さいと分かった時は どうするか。その時は 普通には使えない子供じみた手でも 繰り出さざるを得ないかも知れないと 思っています。小さな人物には 幼稚な手でしょうか。

著者は 諸星 裕(もろほし・ゆたか)氏、ミネソタ州立大学で教鞭をとる傍ら、各種国際スポーツ大会の招致ロビイストなどを務めている 極めて珍しい職業の人が “この30年の間に体験した数々の国際的な交渉現場のほんの一部を書き綴ったもの”ということです。
したがって、かなり具体性の高いもので、具体的過ぎて 抽象度が低く、交渉に関する理論的なことは ほとんどというか 全く無く、したがって 応用性が乏しく、私の説得工作には 結局あまり役立ちそうにはありませんでした。
抽象度が 低いと “学”としては 成立し難く、“術”にしかならないと思っています。ISOマネジメントも 残念ながら抽象度が低く、今のところ“術”のレベルに終始しているのではないかと思っています。
閑話休題、こういう“交渉術”も おそらく具体的なノウ・ハウの塊であって、属人性の高いものだと言えるのでしょう。この本は その“術”のほんの一端を 示したものだと思われます。
ですが、“絶対に必要な条件”は“話の展開の明快さ、つまり、なにをどうしたいのかを、その都度明確にしておくこと”という指摘は 当たり前のことですが、やはり交渉というかコミュニケーションの基本のことのようです。
この著者は007にあこがれて、まずは外国語の習得をやったとのこと。祖父の代からどうやらかなりの事業家にして、余裕のある一家に育ったようで、夢は外国に向かって自然に育って行ったようです。この著者の 生来の資質や能力、また努力に幸運がサポートし、こういう職種に就けた という背景です。著者は 相手が興奮すると 自分は冷静になれるという人だとのことで、私などには 全く真似のできない資質で 正に交渉人が天性を発揮できる適職のようです。
少し気になったことですが、日本政府のODAに関して金の使い道がはっきりしない、という世論に対し、諸星氏は違った意見を持っています。ODAは“世界の貧困国家の人々の生活を少しでも改善するための人道的な援助である。”それを通じて 世界に影響力を行使するのが、目的であるから、相手国の為政者に影響力を残すことができれば良いのであって、そもそもキチンとした統治機構であれば援助の必要はあるまい。ODAというのは、本来は相手の権力者に “ご自由にお金をお使いください”ということが本質なのだ、という意見なのです。
これについては 少し前に読んだ 杉本信行氏の“草の根援助”というのとは 違い、諸星氏の考え方では一歩間違うと かなりダーティな世界に転落する甘い論理のような気がします。
著者は、当然 ウィン・ウィンのハッピー・エンドを交渉の目的としていますが、獲得する利益について 情勢に応じて 時々刻々変化していくことの事例として サッカー・ワールド・カップの日韓共催の交渉経過を 明かしています。これは かなり興味深いものがありました。
また諸星氏は日本のスポーツ界が、世界の動きの中で主導権を握れず、柔道ですら危うい状況になっていることに危惧しています。つまり スポーツ界といえども、世界では“パワー・ポリティックス、力関係に非常に左右される”のだが、日本側には長期的視野の戦略性が乏しく、“ルール改正、会長や理事の選挙といった案件”に まったく対応できていないと言っています。その結果が 平泳ぎの泳法規定の変更や ジャンプのスキー長さのルール改定 等々に 現れているのでしょう。
こういったことには、諸星氏は そういう組織運営に適した語学能力と交渉力、パワー・ポリテッィクスを理解できる人材の育成が急務であると言っています。オリンピックの商業化は 仕方ないというより当然の自然のなりゆきであり、それを是認した上で 対処すべきであるように言っています。
これは、日本にとっては 恐らくスポーツ界に限らないことかも知れません。日本人の戦略性の無さ、希薄な主体性によるところが大きいのだろうと思われます。
この本を読み終えた後の、私自身の 説得工作というか 交渉会見は この本とは あまり関係なく、結局のところ 気持ちに余裕を持ってゆっくりと、相手の話を聞きつつ、当方の言い分を 話すことができた、といったところです。今は 相手の 実際の出方待ちです。今後の相手の 出方で人物の大きさが分かると思っていますが・・・。
さて、残念ながら相手の人物が小さいと分かった時は どうするか。その時は 普通には使えない子供じみた手でも 繰り出さざるを得ないかも知れないと 思っています。小さな人物には 幼稚な手でしょうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

« “ISOを活かす―... | 人事政策 » |
コメント(10/1 コメント投稿終了予定) |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |