The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
今、気になる日本マーケット―気懸りな日本の衰退
最近の日本のマーケットは低調だ。これをどう見、これからどうなるのかいささか気になるところだ。未だ、夏休み気分が抜けないのか。テレビの経済ニュースを見ていると、どうやら米欧日中央銀行の動向を伺ってのことのようだ。
今の日本に限ってのことだが、景気の動向が中央銀行の政策に左右されるのはいかがなものか、というか、最早 中央銀行の動向によって影響を受ける段階を過ぎているのではないかと思うのだが、どうだろうか。
いずれにしても、これからの市場をどう見ているのか、その市場を動かし、またそのために注視しているエコノミストたちはどう見ているのか気になるところだ。彼等はどう見ているのか。
総括的に見て、米国の景気は紆余曲折はあるだろうが良い方向に向かっている、と見ている。FOMCは近いうちいずれ利上げするだろうとの観測。それは年内にあるとしていて12月と見るのが大半のようだ。
一方、中国の景気もほぼ底を打っているとみているのが大半。しかし、この国の動向は発表数字にバイアスがかかっているはずなので、そういう単純な見方には危ういものがあるが、一応 専門家の目を通して見ているはずなので留保しつつも是とするべきだろう。
米国の利上げに敏感に動くのが振興国経済だが、こうした米中の動きの中で、先日オリンピックのあったブラジルも最悪の状態から抜け出しつつあるような状況になりつつある、という。これからはオーストラリアだというエコノミストの声もあった。メキシコは強い米国経済に付いて行くようだ。
ロシアとイスラム国に挟まれたトルコはクーデター騒ぎがあって、政治的に不安定化している印象で今後の動向には留意するべきであろう。
ヨーロッパもブレグジット騒ぎが一段落して、人々が驚くような激変も生じていない。景気動向も全体としてグレーのままだが、牽引車のドイツの状況を私は確認できていない。しかし、フォルクス・ワーゲンの状況はその後も芳しいニュースは聞いていない。イタリアやスペインの銀行の危機が再燃し、金融危機の引き金を引きかねないか、注意しておく必要はあるとのこと。
要するに①低成長/②低インフレ/③低金利は、まだまだ続き、グレーな経済状況は継続するような印象だ。
こういう不透明な時期には、チャートで判断するのが良いと、チャーチスト(罫線分析家)のエコノミストは言う。そのチャーチストは、“今夏で悪い条件は織り込み下げ止まった。円/ドルも99円を底にこれから円安が始まり、株価は上昇する。”と言っていた。円安は年末119円まで進む。具体的には日経平均2/12:14,952円と6/24:14,952円で下げ止まったと見るべき。年末までに18,000円まで上昇するとの御託宣。
まぁ、占星術の星の動きに合わせて今後の動向を占うというのと同じで、星の動きがチャートに変わっただけと見れば、チャーチストも占星術と変わらないと見るならば、いかがなものかと考えるのが健全なものの見方かもしれない。
チャーチストは株価動向をサイクルで予想する。人間社会の動きにそのようなサイクルが認められると言うことを原理と決めつけてしまうのは、少々無理筋の印象がある。
それよりも、日本で生じる地震の発災の方が、サイクリックであるとする方がまだましな科学的発想に基づいていると言える。何故ならば、日本の周囲にせめぎ合うプレートの動きが一定であると観測されているのならば、サイクリックであるとする見方は科学的であるからだ。ところが、未だに地震発生についての予測は出来ていない。
と見て行くと、株価がサイクリックであるとする見方は本当にそうなのか、と思わざるを得ない。しかしながら、このサイクリックの議論は結果的に結構当たっているようなのだ。その実績は尊重しなければならないが、ならば科学的とは一体、どういう態度なのだろうと言わざるを得ない。神ならぬ、しかも凡人以下には手に余る問題ではある。
私は国民一般の所得が増えない限り、基本的に景気は良くならないと思っている。地球上の地理的な経済フロンティアは無くなってしまったが、経済構造の内部にフロンティアは内在しているのではないかと思っている。その内在する経済フロンティアを発掘して行くのが、キャピタリズムの最前線に立つ企業家であり、国家行政の役割でもあると考えている。ところが、日本の場合、このいずれもが その方向に有効に働いていない。経済格差是正に正しくフロンティアはあるのだが、企業家も行政府もそれを無視して放置して、新自由主義的にあらぬ方向に一生懸命に走ろうとして、経済のひずみは大きくなる一方になっているように思っている。
日本の中央銀行が、日本市場の最大の投資家になるというのは異様な光景ではないか。そうしなければ維持できない景気というのは、一体何なんだろうと思ってしまう。経済はサプライサイドをいじって貨幣供給をいくら増やしても良くならない。需要が増えないのが問題なのだ。お金が必要だが、収入がないので使えない人が多すぎるのだ。だから、格差是正の政策が必要なのだが、見向きもしない。日銀頼みの一点張りなのだ。
少し前まで、経済は需要が引っ張る、供給が押し出すという発想は既に18世紀で終わっていると教わったように思う。ところがサプライ・サイドの奇形経済学が主流となり、新自由主義が米英で一見成功したかに見えると、それを金科玉条とする御用学者が輩出し、無定見にも日本を誤った方向に向けてしまっているのではなかろうか。
しかも日本の企業家も将来への投資を怠っているようだ。金を借りてまで投資しようとはしない。人口減少社会に在って、労働生産性向上のための投資は喫緊の課題のはずだが、端的に言ってそのためのIT投資にさえあまり熱心でないことが経済統計に現われているという。或いは女性の社会進出にもあまり熱心でない。個人的なインセクト・アイの視点かもしれないが、審査に赴いた先で経営者インタビューで将来像を聞いているが、驚いたことに“現状維持”と答える人が多いのだ。そんな気分が日本中を横溢しているのであれば、この社会の発展はない。この日本が停滞するのは当たり前だ。若者の活気もあまり感じない。せいぜいで電車の中で傍若無人に大股を開いてスマホ・ゲームに興じる程度だ。
マヌケなアベノミクス(アホノミクス)のお蔭で経済は停滞し、近隣諸国からは一目置かれることは無くなって来た。あからさまにバカにされているのが昨今の状況ではないか。このことが身に染みて分かるのは日本の首相のはずだ。しかし内弁慶の首相は何故か先日のG20では習金平に為されるがまま、だったではないか。背景に国旗も掲げずに、習金平と握手する写真を喜んで撮ったように見える。そして言うべきこと、中国は近海の平穏を乱していることに公式に言及せず、現場の海保職員や自衛官の労にも報いなかった。これは何よりも沖縄の漁民の生活を無視していることになる。アジア諸国も内心ガッカリしているのではないか。しかも北朝鮮には平壌宣言は無視され、順調に核兵器の開発を許してしまい、ライフ・ワークと称していた拉致被害者も戻って来る気配は全くなくなった。これこそ全く為されるままで、せいぜいで判で押したように“断じて容認できない”と言うのみだ。フィリピンにさえ様々な援助をしても、その見返りの期待度は低下しているという。
“国民の生命と財産を守る”とこの御仁の口から何度も聞いたような気がするが、実際にこの言動を実践したことがあるのか。一人の日本人ジャーナリストの命すら守ろうとしなかったではないか。恥辱を甘受し、風呂屋の桶のような軽薄な人物がどうして“立派な国家観を持った唯一の日本人”と言えるのだろうか。現実には日本全体が北の核の脅威に曝されてしまった、というのが冷徹な現実ではないか。
マヌケで対米追従のみに一生懸命な人物をいつまでも首相に据えている日本社会もその程度なのかもしれない。それが長期政権になるというのだ。停滞からどんどん衰退へと進んで行くかのようだ。安倍氏はそのとば口を開いた人物として、立派に歴史に汚名を残すのだろう。
閑話休題。そういった諸事情があるにもかかわらず、先のチャート・エコノミストはこれから株価が上昇するとの御託宣を為している。一体、直近にどういう経済原理が働いて経済が上向くと言うのか、その辺の説明がない限り、チャーチストの御託宣はやっぱり信じるに足るとは思えない。

今の日本に限ってのことだが、景気の動向が中央銀行の政策に左右されるのはいかがなものか、というか、最早 中央銀行の動向によって影響を受ける段階を過ぎているのではないかと思うのだが、どうだろうか。
いずれにしても、これからの市場をどう見ているのか、その市場を動かし、またそのために注視しているエコノミストたちはどう見ているのか気になるところだ。彼等はどう見ているのか。
総括的に見て、米国の景気は紆余曲折はあるだろうが良い方向に向かっている、と見ている。FOMCは近いうちいずれ利上げするだろうとの観測。それは年内にあるとしていて12月と見るのが大半のようだ。
一方、中国の景気もほぼ底を打っているとみているのが大半。しかし、この国の動向は発表数字にバイアスがかかっているはずなので、そういう単純な見方には危ういものがあるが、一応 専門家の目を通して見ているはずなので留保しつつも是とするべきだろう。
米国の利上げに敏感に動くのが振興国経済だが、こうした米中の動きの中で、先日オリンピックのあったブラジルも最悪の状態から抜け出しつつあるような状況になりつつある、という。これからはオーストラリアだというエコノミストの声もあった。メキシコは強い米国経済に付いて行くようだ。
ロシアとイスラム国に挟まれたトルコはクーデター騒ぎがあって、政治的に不安定化している印象で今後の動向には留意するべきであろう。
ヨーロッパもブレグジット騒ぎが一段落して、人々が驚くような激変も生じていない。景気動向も全体としてグレーのままだが、牽引車のドイツの状況を私は確認できていない。しかし、フォルクス・ワーゲンの状況はその後も芳しいニュースは聞いていない。イタリアやスペインの銀行の危機が再燃し、金融危機の引き金を引きかねないか、注意しておく必要はあるとのこと。
要するに①低成長/②低インフレ/③低金利は、まだまだ続き、グレーな経済状況は継続するような印象だ。
こういう不透明な時期には、チャートで判断するのが良いと、チャーチスト(罫線分析家)のエコノミストは言う。そのチャーチストは、“今夏で悪い条件は織り込み下げ止まった。円/ドルも99円を底にこれから円安が始まり、株価は上昇する。”と言っていた。円安は年末119円まで進む。具体的には日経平均2/12:14,952円と6/24:14,952円で下げ止まったと見るべき。年末までに18,000円まで上昇するとの御託宣。
まぁ、占星術の星の動きに合わせて今後の動向を占うというのと同じで、星の動きがチャートに変わっただけと見れば、チャーチストも占星術と変わらないと見るならば、いかがなものかと考えるのが健全なものの見方かもしれない。
チャーチストは株価動向をサイクルで予想する。人間社会の動きにそのようなサイクルが認められると言うことを原理と決めつけてしまうのは、少々無理筋の印象がある。
それよりも、日本で生じる地震の発災の方が、サイクリックであるとする方がまだましな科学的発想に基づいていると言える。何故ならば、日本の周囲にせめぎ合うプレートの動きが一定であると観測されているのならば、サイクリックであるとする見方は科学的であるからだ。ところが、未だに地震発生についての予測は出来ていない。
と見て行くと、株価がサイクリックであるとする見方は本当にそうなのか、と思わざるを得ない。しかしながら、このサイクリックの議論は結果的に結構当たっているようなのだ。その実績は尊重しなければならないが、ならば科学的とは一体、どういう態度なのだろうと言わざるを得ない。神ならぬ、しかも凡人以下には手に余る問題ではある。
私は国民一般の所得が増えない限り、基本的に景気は良くならないと思っている。地球上の地理的な経済フロンティアは無くなってしまったが、経済構造の内部にフロンティアは内在しているのではないかと思っている。その内在する経済フロンティアを発掘して行くのが、キャピタリズムの最前線に立つ企業家であり、国家行政の役割でもあると考えている。ところが、日本の場合、このいずれもが その方向に有効に働いていない。経済格差是正に正しくフロンティアはあるのだが、企業家も行政府もそれを無視して放置して、新自由主義的にあらぬ方向に一生懸命に走ろうとして、経済のひずみは大きくなる一方になっているように思っている。
日本の中央銀行が、日本市場の最大の投資家になるというのは異様な光景ではないか。そうしなければ維持できない景気というのは、一体何なんだろうと思ってしまう。経済はサプライサイドをいじって貨幣供給をいくら増やしても良くならない。需要が増えないのが問題なのだ。お金が必要だが、収入がないので使えない人が多すぎるのだ。だから、格差是正の政策が必要なのだが、見向きもしない。日銀頼みの一点張りなのだ。
少し前まで、経済は需要が引っ張る、供給が押し出すという発想は既に18世紀で終わっていると教わったように思う。ところがサプライ・サイドの奇形経済学が主流となり、新自由主義が米英で一見成功したかに見えると、それを金科玉条とする御用学者が輩出し、無定見にも日本を誤った方向に向けてしまっているのではなかろうか。
しかも日本の企業家も将来への投資を怠っているようだ。金を借りてまで投資しようとはしない。人口減少社会に在って、労働生産性向上のための投資は喫緊の課題のはずだが、端的に言ってそのためのIT投資にさえあまり熱心でないことが経済統計に現われているという。或いは女性の社会進出にもあまり熱心でない。個人的なインセクト・アイの視点かもしれないが、審査に赴いた先で経営者インタビューで将来像を聞いているが、驚いたことに“現状維持”と答える人が多いのだ。そんな気分が日本中を横溢しているのであれば、この社会の発展はない。この日本が停滞するのは当たり前だ。若者の活気もあまり感じない。せいぜいで電車の中で傍若無人に大股を開いてスマホ・ゲームに興じる程度だ。
マヌケなアベノミクス(アホノミクス)のお蔭で経済は停滞し、近隣諸国からは一目置かれることは無くなって来た。あからさまにバカにされているのが昨今の状況ではないか。このことが身に染みて分かるのは日本の首相のはずだ。しかし内弁慶の首相は何故か先日のG20では習金平に為されるがまま、だったではないか。背景に国旗も掲げずに、習金平と握手する写真を喜んで撮ったように見える。そして言うべきこと、中国は近海の平穏を乱していることに公式に言及せず、現場の海保職員や自衛官の労にも報いなかった。これは何よりも沖縄の漁民の生活を無視していることになる。アジア諸国も内心ガッカリしているのではないか。しかも北朝鮮には平壌宣言は無視され、順調に核兵器の開発を許してしまい、ライフ・ワークと称していた拉致被害者も戻って来る気配は全くなくなった。これこそ全く為されるままで、せいぜいで判で押したように“断じて容認できない”と言うのみだ。フィリピンにさえ様々な援助をしても、その見返りの期待度は低下しているという。
“国民の生命と財産を守る”とこの御仁の口から何度も聞いたような気がするが、実際にこの言動を実践したことがあるのか。一人の日本人ジャーナリストの命すら守ろうとしなかったではないか。恥辱を甘受し、風呂屋の桶のような軽薄な人物がどうして“立派な国家観を持った唯一の日本人”と言えるのだろうか。現実には日本全体が北の核の脅威に曝されてしまった、というのが冷徹な現実ではないか。
マヌケで対米追従のみに一生懸命な人物をいつまでも首相に据えている日本社会もその程度なのかもしれない。それが長期政権になるというのだ。停滞からどんどん衰退へと進んで行くかのようだ。安倍氏はそのとば口を開いた人物として、立派に歴史に汚名を残すのだろう。
閑話休題。そういった諸事情があるにもかかわらず、先のチャート・エコノミストはこれから株価が上昇するとの御託宣を為している。一体、直近にどういう経済原理が働いて経済が上向くと言うのか、その辺の説明がない限り、チャーチストの御託宣はやっぱり信じるに足るとは思えない。

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