活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

拈華微笑4

2022年07月07日 | 法理

ただ一人迦葉(かしょう)のみ在りて、おシャカ様の密意を見破ったのです。

 

さすがのおシャカ様も是の内証をすっぱぬかれたので地位を譲ったのです。

 

そこで「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り、不立文字(ふりゅうもんじ)教外別伝(きょうげべつでん)摩訶迦葉(まかかしょう)に付属す」と譲り渡しの証文状を書いたのです。

 

これが「禅定の始まり」であり、「印可證明(いんかしょうみょう)」の起源なのです。

 

おシャカ様は私たち衆生の前身です。

 

私たち衆生はおシャカ様の後身です。

 

見 明星(けんみょうじょう)の眼も私たち衆生の眼も眼は同じく横なのです。

 

「己れ」を認めなければ、皆、「己れ」で無い物はないのです。

 

おシャカ様はこのように「金波羅華」を拈じられたのです。


拈華微笑3

2022年07月05日 | 法理

おシャカ様は何故華を拈じたのでしょうか。

 

迦葉(かしょう)は何故、笑ったのでしょうか。

 

ここが参究のしどころです。

 

何故おシャカ様は「一字不説」と断り、成道の時に「我と大地有情(うじょう)と同時に成道する」と記別を与えたのでしょうか。

 

「記別」とは、おシャカ様が私たち衆生を「本来成仏なり」と宣言された事をいいます。

 

おシャカ様が華を拈じたのは仏道(仏法)は私たち衆生の足元に在る事を知(識)ってもらいたいための「老婆心切」だったのです。

 

おシャカ様は「法の後継ぎ」を決めるために選抜試験を行ったのです。


拈華微笑2

2022年07月03日 | 法理

おシャカ様も「一字不説」でよせばよいのに最後の説法に出掛けたのです。

 

「金波羅華(こんぱらげ)」とは説法に対するお極まりの供養物です。

 

おシャカ様は華を捻じたまま何も言わなかったのです。

 

分かった者が在るかしらと彼方此方見廻しました。

 

ところが多くの修行者はおシャカ様の密意が分からなかったのです。

 

唯(ただ)一人迦葉(かしょう)のみ在って華を見て笑ったのです。


拈華微笑1

2022年07月01日 | 法理

「拈華微笑(ねんげみしょう)」の話は「禅の紀元」として世に知れ渡っています。

 

インド、中国、日本へと歴代の覚者といわれる方々は皆この話に由来しているのです。

 

「拈華微笑」とはおシャカ様が一枝の「金波羅華(こんぱらげ)」を拈じて、言説を越えた仏教の端的を示したところ「迦葉(かしょう)」のみがその密意を知ってにっこり微笑したという因縁話です。

 

「四十九年一字不説」とは、おシャカ様最後の説法です。

 

「不説」とはその物が説けないという事です。

 

何故ならば「その物の外にその物が無い」からです。

 

説かないのではありません。

 

「元来説けない」のです。

 

説けばそれだけその物にそむける事に成るのです。