活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

拈華微笑5

2022年07月09日 | 法理

「吾れに正法眼蔵 有り」の是の「吾れ」の字に高く眼を付ける必要が在ります。

 

「吾れ」とは誰の事でしょうか。

 

あながちにおシャカ様在世当時に預ける事ではないはずです。

 

正法眼蔵は誰も持っていない人はいないのです。

 

「涅槃妙心」とは何時も変わらない正法眼の自在の人を指したお言葉です。

 

「実相無相」とは、ものに自性無く、こん跡の認めるべきものが無い事です。

 

「山と吾れ」と同じですか。別ですか。

 

同異の入る隙間は無いのです。

 

実相は自ら実相とは言いません。

 

「相」とは相手が無いのに相手を認める事です。

 

元来その物その物に脱落して、相手の邪魔をする者が無いはずなのです。

 

そこで「自在」なのです。

 

そこが「無相」です。

 

無相を指して実相を言っているのです。