「吾れに正法眼蔵 有り」の是の「吾れ」の字に高く眼を付ける必要が在ります。
「吾れ」とは誰の事でしょうか。
あながちにおシャカ様在世当時に預ける事ではないはずです。
正法眼蔵は誰も持っていない人はいないのです。
「涅槃妙心」とは何時も変わらない正法眼の自在の人を指したお言葉です。
「実相無相」とは、ものに自性無く、こん跡の認めるべきものが無い事です。
「山と吾れ」と同じですか。別ですか。
同異の入る隙間は無いのです。
実相は自ら実相とは言いません。
「相」とは相手が無いのに相手を認める事です。
元来その物その物に脱落して、相手の邪魔をする者が無いはずなのです。
そこで「自在」なのです。
そこが「無相」です。
無相を指して実相を言っているのです。