活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

此方1

2019年05月07日 | 般若心経

電車の音を聞くのでも、何ものも聞くという考えはないのです。

「魂」という名を聞いたから「魂」が聞くと思うだけなのです。

「魂」はないのです。

「己れ」はないのです。


「唯因縁に依って聞くという事実」があるのみなのです。

「此方」ばかりでは聞くという「事実」はないのです。


「此方」に聞くものがあると思うのが「迷い」なのです。

「此方」に「魂」があると思うのが「迷い」なのです。


これは余程考えなければなりません。

何故ならばそれを「心」と思っているからです。


「皆我が心なり」といっています。