物心が付く頃に「相対的認識」が芽生えて来ます。
それが「自我」の始まりです。
しかし、そういう「自我」が発達するのも「法の働き」なのです。
「自我」そのものは、実体の無いものです。
「実体の無い物」ということは人類史上おシャカ様が初めて気づかれたものです。
これは非常に矛盾したことですが、「自我」が無ければ「迷い」はありませんし、「悟り」もありません。
他の動物は人間(にんげん)ほど相対的認識が強くないので「自我に因って迷い、自我に因って悟りを開く」という事は不可能です。
すべてのものに「法」は有(在)るのですが、人間(にんげん)だけが「法」を自分で納得のいくものとして受け取ることが出来るのです。