自分の一生2 2019年01月16日 | 法理 私たち衆生は六道輪廻を繰り返し、全く「本来の自己とは何か」という ことを考えることもなく「自分の一生」を送り続けているのです。 もう一度申し上げます。 私たち衆生は産湯につかっていることを自分では知(識)りません。 亡くなった時に身を浄められていることも自分では知(識)らないのです。 「本来の自己」は知(識)らないまま世の中を過ごすのがほとんどの人の 「状態(一生、人生)」なのです。 « 自分の一生1 | トップ | 「この法」とは1 »
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