活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

名称

2015年09月25日 | 仏教
私達衆生は「空」だとか「平等」とかいうと、何かそれが仏法の大意、究極だと考え勝ちです。

仏法ということを、思ったり考えたりすることでも、既に【名称】に引っ掛かって、迷いの元になっているのではありませんか。


名称というのは、本当に始末に終えないものですけれども、やむを得ません。

仏法は「即今、即今」と言いますが、「今」という名称はあっても【実体】はありません。

ですから、「今」という名称を使って実体の無い「今」ということを自分のものにする以外にないのです。


仏道という道に従って究極に至らなければならないのです。

道の中にいながら、道を探し求めるというのは非常に矛盾した事ですけれども、それをやらなければならないのです。

余分なことなのです。

実に余分なことなのですけれども、それをしないと「今の自分」というものは本当に分かりません。

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