活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

行き着くところ

2015年09月26日 | 法理
本当に自信を持って「この修行をすれば、間違いなく究極に達する」ということはなかなか言えるものではありません。

出発はしたけれども、何処に終着点があるのかということです。

終着点は何処かというと、「今の自分」です。


今の、色々な事を考えたり、思ったり、グシュグシュしていたり、、、、そこしか行き着くところはないのです。

それを誰が「グシュグシュしている状態はよくない」と、決められるのでしょうか。

「グシュグシュしている状態」それしかないではありませんか。

分別をしている時は分別のまま、それしかないのですから、【そこ】に行き着く他はありません。


おシャカ様はちゃんと「煩悩 即 菩提」と、証明なさって自分でそれをきちんと見極めておられます。

それなのに、何故私達衆生は「今の自分」をうけがえないのでしょうか。


おシャカ様は何故私達衆生こんなグシュグシュした自分の状態を「菩提」と言われたのでしょうか。

これはあらゆる人が、

「人人 (にんにん) の分上に豊かにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず、證せざるには得ることなし」

だからです。


ですから、ちゃんと古人の歩まれた道に踵を合わせて修行することによって、必ずその事が現れてくるということです。

やらなければ出来ません。

歩みを進めていかなければ、行き着くところには、到達出来ないということになるのです。

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