坐禅は坐禅より外に知るものはないのです。
「坐禅は坐禅なり」です。
外に知る者があれば、これは坐禅ではありません。
生は生の法位にして、盡天盡地の生なのです。
死は死の法位にして、貫古貫今の死なのです。
ですから仏祖の生死を見ることは、春の百花を見る様なものです。
道歌に「おもしろや 散るもみじ葉も咲く花も おのづからなる法(のり)のみすがた」とあります。
花は咲く時、咲くと言わず、散る時は散ることを知らないのです。
生は生の生にして、生の外に生なしなのです。
「空即是色、色即是空」なりです。