活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

おシャカ様の真意義

2016年02月15日 | おシャカ様

本日、二月十五日はおシャカ様が亡くなられた日です。

おシャカ様は「正、像、末(しょう、ぞう、まつ)」の 三時 ということをお説きになりました。

 

「正」 とは證(さとり)ということです。

おシャカ様入滅後も正しく證果を得る者もあり、教あり、行もありました。

これが 「正法時」 です。

正法千年、像法千年、末法万年というのが 「大悲経」 の説にあります。

 

「像法」 の像とは、似るという意味です。

教あり、行ありて、證果なく、「像似(ぞうじ)」 の仏法が行われている時を 「像法時」 といいます。

證果のない教行は本物ではありません。

似て非なるものであることを知らねばなりません。

 

「末法」 の末とは、微(かすか)の意味です。

微末にして、ただ教ありて、行なく、證果のなきを 「末法時」 といっているのです。

 

時に「正、像、末」 ありといえども、人は自在であり無自性です。

成せば何時も成し遂げるものです。

 

おシャカ様が「正、像、末」 を説いたのは、

私たち衆生の怠慢を戒め、裏面には私たち衆生の惰眠を覚ましたかったのです。


ですから、回向文(えこうもん)にも

「末法を正法にかえし、群生(ぐんじょう)を無生(むしょう)に導き給え」

とあります。

 

「法滅盡経(ほう めつじんきょう)」 によれば、末法に入ると 「法」 は凡て滅盡するとあります。

いまや、仏教を研究するのは、ほとんど無駄のように見えてしまいます。

何故ならば、今が、末法の真っ只中だからです。

 

ここに、「おシャカ様の大慈悲」 のあることを知らなければなりません。

「法が滅びるぞ」 というのは、法を滅ぼしてはいけないという意味があるのです。

 

「弱い奴だ」 とは、「強くなれよ」 という慈悲がこもっているのです。

「馬鹿だな」 とは、「賢くなれ」 ということです。

 

ですから、「滅盡するぞ」、「濁っているぞ」 というのは、

永久に成れよ、清く成れよという意味なのです。

これが即ち 「正、像、末」 の三時を立て、「法滅盡経」 を説いた、おシャカ様の真意義なのです。


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2 コメント

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Unknown (うみのすけ95)
2016-02-15 21:45:14
難しい言葉を使いまくっててなんかスゴイと思いますww
ボクのブログも面白いこと書いたので出来たらきてください!!
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Re:Unknown (山里の和尚)
2016-02-16 07:00:49
コメント下さり、ありがとうございます。
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