始めからいちいち、そういうふうにすっかり解脱した境界(きょうがい)に誰でもいるのですが「そんなことが」という気がするものです。
「そんなことが道なのか」と思うのです。
それだから困るのです。
「道」というものを遠いところに求めて理想を描くからです。
人間(にんげん)が理想を描いていると、如何にも立派そうですけれどもそれが「迷いの根」なのです。
それを知(識)らないのです。
ほとんどの人が如何すべきか、何処が本当なのかちっとも分らずに乱れ騒いでいるのです。
「仏教」というものは、そういうものの中心をきちんと今教えているのです。
おシャカ様はそういう「尊い道」を教えられたのです。