逸話2
2016年06月01日 | 禅
一方では心なしに言った事でも、本当に信ずれば悟ることが出来るという話です。
或る人が悟りを開きたいと言ってお坊さんの所にやって来ました。
お坊さん曰く、
“俺の云う通りになりさえすれば、悟りを開くことが出来る。
その代わりに俺の云う事を守って、うんと布施を出さなければならぬ”
と言い、御布施をもらって酒肴を腹一杯食いました。
そして、その人には眼を閉じさせて
“俺がよいと云うまで眼を開いてはいけない、開くと悟ることが出来ない”
と言い聞かせました。
この生臭坊主が人に悟りを開かすことの出来ようはずがないのです。
彼の目的は御布施にあり、そのまま逃げ出してしまったのです。
何とか言うだろうと思って眼を閉じていると、知らず識らず 「無我」 の境地に
入ったのです。
もうよいだろうと思って眼を開いた時、悟ったといいます。
信ずればそういう事もあるという話です。