「坐禅は坐禅なり」とは4 2021年06月30日 | 坐禅 「坐禅は坐禅なり その時」を別の言葉で「見性(けんしょう)」とか「身心脱落」とか「解脱」とか、そういうように説明しています。 一度、「その事実」にならないと「そのまま(今のまま、現在のまま)で善かった」という事にはならないのです。 いくら観念的にそうしても「自分自身が承知(満足)出来る訳がない」のです。 ですから「坐禅は坐禅なり」、そういう「坐」に徹して頂かないといけない訳なのです。 « 「坐禅は坐禅なり」とは3 | トップ | 「坐禅は坐禅なり」とは5 »
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