「山河(さんが)は鏡中に在りて見えず」という
お言葉があります。
此方に鏡があって彼方から映るのではありません。
天地は一枚の「宝鏡三昧」なのです。
写すものと写されものとの相手があるのではありません。
「鏡」は初めから曇りのないものですから、磨けるもの
ではないのです。
無辺自在の世界です。
何が来ても来たものが映るのです。
これは「鏡」があると思ったら間違いです。
「心」がこの体にあると思ったら大変な間違いです。
我々自在の働きです。
「心」はコロコロと珠の盤を走るが如くに、人及び
天地と心は共通性のものです。
「無量無辺の大」を譬えただけなのです。
即ち「無我」です。
我の無いのが本当の鏡です。
「明鏡」はその譬えです。