次に「自己を忘るるというは、万法に證せらるるなり」と示しておられます。
「万法」とは一切の「差別(しゃべつ)の法」です。
「證せらるるなり」とは「一つに成る」ということです。
今日相対的なものの見方をしていますが、実はそうではないのです。
元々相対的なものの見方というのは、
「符号の部分と、自分というものが有(在)るからそうなる」のであって、
「一つに成って見れば」相対的なものの見方というのはなくなるのです。
「一つに成れば」間違いなく迷うというものは、なくなります。
それを「證せらるる」というのです。