今というものは、切っても切れないものです。
焼いても焼けないのです。
しかも、どこにもあるのです。
いつでもあるのです。
死んでも死なないのは、今なのです。
自分というものを殺してしまったならば、「今」という
永久の生命が得られます。
だから、いつ死んでもよいという境涯が得られるのです。
そういう境涯をこれから、私たち衆生は「実地の上」に開発して
疑わないという境涯を養わなければならないのです。
「理論(理屈)」ばかりではいけないのです。
悟らなければならないのです。
「聞思修(もんししゅう)」というお言葉がありますが、
やはり聞かなければならないのです。
聞いて思わなければいけないのです。
思って決心したら「修行」しなければならないのです。
道歌に、
「耳に聞き 心に思い 身に修せば 何時か菩提に 入るぞ嬉しき」
と。