活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「観念と事実」再考2

2017年09月01日 | 法理

人間(にんげん)は「こうあるべきだ」などと考えているものです。

「理想」ということでもそうです。

 

「自分の理想としての事実」は何処にあるのかと問われたら、皆

行き詰まってしまうものです。

 

それは「観念の生活で夢を見ていて、事実を知(識)らない」

からです。

 

それなのにどうも頭で考える「自由の力」というものを追いかけて

いるのです。

 

しかし、どんなに考えても「地所位(時間と場所と位置)」は

如何ともすることは出来ません。

 

制限をされるというと、苦痛を感じ、苦しみが起こるのです。

 

苦しみの源は、「観念生活を中心とし、事実に住していない」

からです。