元来、「明日」というものは無いのです。
明日になればそれが今なのです。
今というものは何処までいっても今なのです。
「未来」というものは、「今の相続」したものです。
未来というものは「未だ来らぬもの」ですから、「空」のものなのです。
未来が来たらやはり、今なのです。
遠々の過去も今であったのです。
今のほかは無いのです。
この「今」というものが手に入ったら大きな話です。
今は今です。
実体を認めると我と二つになります。
今という今ではなくなるのです。
今は今が知(識)っているのです。
いわゆる今を借りて、本当の今を仏祖は悟らすのです。