活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「観念と事実」再考3

2017年09月02日 | 法理

その場所で「事実」は今現在あるのです。

それなのに苦しみが起きるのです。

 

その元を「無明」というのです。

「無明」というのは、自分が自分ではっきりしないということです。

 

人とは何か、自己とは何かと言われると、考えれば考える程

混乱して解らなくなるものです。

 

それは「考え方」が「事実」のように「錯覚」を起こすからです。

 

本気になって考える人だったら居ても立っても居られない様に

なると思います。

 

しかし、それをいくら考えてみてもどうしようもないのです。