活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

最初の説法 2

2016年02月24日 | おシャカ様

只、悲しいことには、五人のおシャカ様の弟子達は、

「自分の本質」 を見極めていないために

「六根・六境・六識」 との関係というものが、

必然性で、必然が必要に勝手放題に動くものですから

思いの心(意)を以って中々捕える(理解する)ことが出来なかったのです。

 

しかし、私たち衆生には 「認識(意識)という作用」 があるので、

その認識(意識)の作用によって

初めて捕え得る(理解する)ことが出来たのです。

しかし、それは 「影を捕えた(理解)」 のです。


現在動いて行って、了ったものを、後(過去)から現在に思い起こして、

そしてそれを捕えて(理解して)使えるものです。

又、反省が出来たり、修行が出来たりして、そういう意味においては非常に

都合がいいのです。

 

ところが、認識(意識)と言われるものは 「不思議」 に

「ものを認める、影を認める」 といった様な風で、その習慣に依って

私たち衆生が 「迷い」 を起こす方面があるのです。

 

それに私たち衆生は 「だまされる」 のです。

このことを、禅宗では 「瞞(まん)ぜられる」 といいます。