活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

大死一番・大活現前(たいしいちばん・たいかつげんぜん)2

2016年02月17日 | 法理

「悟る」 ということも同じです。

「大死一番・大活現前」 して始めて 「法そのものに成る」 訳です。

ですから、悟ってしまえばそれで終わり、それが究極だというものではありません。

 

それから先に真の 「無所悟・無所得」 という、求める所も、悟る所もない、

「今」 の状態、「今」 の日常のありのままの生活(禅・坐禅・法・道)が始まるということです。

 

修行も 「悟り」 で行き止まりのように思う人があるかもしれませんが、

そうではないのです。

 

その辺の所についは、旧稿 「信解行證入(しんげ ぎょうしょうにゅう)1~4」

(2015/6/1-3 、 2015/7/2)

を参照していただければと思います。