三昧 2
2015年11月28日 | 禅
成り切って己を忘れることを三昧(ざんまい)と言います。
禅語で「心境一如(しんきょう いちにょ)」と言います。
お百姓さんが畑仕事をしている時は「三昧」です。
昔の話ですが、朝早く起きてご飯を炊くことも「三昧」です。
飯を炊く時に何かありますか。
炊く時は飯を炊くことばかりに成り切って、他には何もないと思います。
つまり、「三昧」になっているのです。
飯に成り切るからしくじることはありません。
人が御飯を炊くのではありません。
飯が飯を炊くのです。
人が坐禅をするのではありません。
坐禅が坐禅をするのです。
「坐禅は坐禅なり」です。
ですから、良い御飯が出来なければならないはずなのです。
これは理窟ではありません。、
実験してそこに徹するのです。