熱いものは熱い、冷たいものは冷たい、悲しい事は悲しい、皆同じ人です。
おシャカ様を始め、歴代の覚者といわれる方々は誰一人として特殊な人はいません。
その人が、ある縁によってか「道 (法)」を求め、導かれ、そしてその「道」を歩んで来られたのです。
その事によってそういう機縁に遇ったという事ですから、どなたでも「志」さえあれば「今の自分の事実」に気が付くという事です。
「自分の法に目醒める」という事は、おシャカ様の「法」ではありません。
独立した自分というものになる訳です。
“私はとてもおシャカ様のような人にはなれない” という人がいます。
よく考えてください。
皆それぞれ違うのに、同じ人になろうと思うのはおかしいと思いませんか。
しかし、同じ人にならなければおかしいと思う人が多いのも事実です。
「法 (道)」というものは、そういうものではありません。
おシャカ様の教えはインドから中国に入り、中国から日本に入ってきましたが皆それぞれ違います。
ですから、その土地、その文化によって様々に形を変えて今日までこのようにあるのです。
「法 (道)そのもの自体」は、もともとないものですから、「法 (道)そのもの」は、ひとつも変わっておりません。
これからは私たち衆生が自由に、
「おシャカ様の時代はそうであったかもしれませんが、今はこうでなければなりません、このほうが多くの人によくわかってもらえると思います」
と、言うぐらいの自信を持って「法 (道)」を自分のものにしていただきたく思います。